秦政明秦 政明(はたまさあき、1930年-2003年3月)、元URC社長。大阪出身、大阪大学卒業[1]。 略歴大学生時代は、歌ごえ運動に没頭し(その頃からの知人に田川律がいる[2])、卒業後の1958年、クラシックのコンサートを主催する「大阪国際フェスティバル協会」入社[1][3]。 1962年、大阪国際フェスティバル協会から独立し、外タレの関西公演を取り仕切るイベンター会社、「アート・プロモーション」を興す[4]。 1966年7月、大阪労音に“フォークソング愛好会”を発足[5]。森山良子やアマチュア時代のザ・フォーク・クルセダーズらを集めて「フォーク・フォーク・フォーク」という催しを行っていた頃に高石ともやに出会う[2]。高石のやっている音楽に衝撃を受け、高石を自宅に居候させながら、二人三脚で活動を始める。 1967年9月、アート・プロモーションとは別に、高石ともやを中心とした「高石事務所」を大阪に設立[6]、中川五郎、ザ・フォーク・クルセイダーズが合流。 1968年、東芝音楽工業から「帰って来たヨッパライ」をリリースする際、版権会社が必要となったため[7]、「アート音楽事務所」設立。1月に東京・原宿のセントラル・アパートの一室に高石音楽事務所の東京事務所も開設[8]。 1969年1月、アート音楽事務所より月刊誌『フォーク・リポート』発行。2月、関西フォークの一大拠点となった高石事務所所属のアーティスト作品をレコ倫を通さず自由にレコード配信しようと会員制レコードクラブ、「アングラ・レコード・クラブ(略してURC)」設立。 1970年1月、「高石事務所」を「音楽舎」に社名変更。 1978年、「音楽舎」をいとこの秦慎一郎に引き継ぎ退く[9]。日本古代史の研究に打ち込む[10]。 2003年3月没。 関連書籍
脚注注釈出典
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