くそくらえ節
『くそくらえ節』(くそくらえぶし)は、フォークソング歌手岡林信康の歌である。 解説高石友也が地元近江八幡の教会に来ると聞き、「高石友也って誰や?」という認識だったが、高石が立教大学出身で釜ヶ崎にいたと聞き、自分も同志社大学出身で山谷にいたという共通点から興味を持ち、高石友也が出る「反戦フォークの夕べ」の実行委員になり「高石友也きたる」とかのポスターを作った。当日その高石友也の歌を聴き、うまいとは思わなかったがまいったと思った。自分の思ったことを歌にして歌っていいんだと。それで自身も歌を作りたくなり、友達が買って弾かないギターを借りて、高石のアルバムを聴きながらコード進行などを勉強して、ちょっとずつ歌を作った。その中の1曲がこの「くそくらえ節」[2]。 再び高石が来るということで、高石を呼んだ草津キリスト教会の牧師さんに、飛び入りで歌わしてくれと頼む中で、できた歌を聴かせたところ、どれもこれもつまらんと言われて、やけくそで歌ったのがこの「くそくらえ節」で、これがおもしろいと言われて歌うことになった。そしたら、高石よりも受けてしまい、その場にいた高石音楽事務所の秦政明より、「うちに入って歌わないか」と誘われ歌手になる[2]。 デビュー前にいろんなステージに出て受けたことから、デビューさせる計画が持ち上がり、1968年に当初一番条件のよいビクターレコードと契約して、4月始め毎日放送のスタジオを借りて、「くそくらえ節」をA面に、「山谷ブルース」をB面で吹き込み、「山谷出身の歌手」ということで、5月15日から大々的に売り出す予定だった[3]。ところが、レコード発売直前になって、レコード倫理規定委員会から「思想的偏向性(国家権力や政治家を徹底的に風刺した歌詞となっている[4][5])」があるということ、「くそくらえ節」と言うタイトルではまずいと言うことで「ほんじゃまあおじゃまします」とタイトルに改名されたものの[6]、歌詞に問題あり(歌詞の中の政治家を批判する内容が、近く行われる参議院選挙に影響が出る[3])と言うことで、その歌詞も見直し、見本盤までは作られたが、発売中止になった[4][7][8]。規格番号はSV-1019。 結局、B面に収録されていた「山谷ブルース」をA面にして(B面は「友よ」)、デビュー曲として発売。 秦は、当時の新聞記事で、「政治家個人を中傷したわけではないし、落語家でもこのくらいのことを言っている。行き過ぎで、このままでは何も言えなくなる。どうしてもダメなら自主販売も考えている[3]」ということで、翌年立ち上げたURCレコードから、ライブ録音された物がシングル盤として発売。B面は「がいこつの唄」。 7インチレコードながら、A面が収録時間8分弱ということで、33・1/3回転、B面は通常の45回転である。 1969年8月21日日本民間放送連盟による要注意歌謡曲指定(放送禁止)を受けた[9]。同時期には、岡林の他の曲も要注意歌謡曲指定(放送禁止)を受けている[10]。 、「題名自体が下品なもの」である上に「歌詞の内容についても一方的な発言が多く、国家の誇りを傷つけ、個人、職業などをそそしるものとして」なお、1969年に出版された本「フォークは未来をひらく」の中で、この「くそくらえ節」の詳細を岡林本人が解説している[4]。 エピソード
収録曲全作詞・作曲:岡林信康 SIDE A
SIDE B
収録アルバム
関連項目脚注
外部リンク
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