山田拓郎
山田 拓郎(やまだ たくろう、1973年〈昭和48年〉4月1日[1] - )は、日本の政治家。前愛知県犬山市長(2期)、元犬山市議会議員(4期)、元犬山市議会議長。 来歴愛知県犬山市愛宕町出身。犬山市立犬山南小学校、犬山市立城東中学校、美濃加茂高等学校、名古屋経済大学経済学部卒業。大学卒業後は民間企業に勤めるほか、愛知県議会議員の田中志典の秘書を務めた[2]。 1999年(平成11年)4月、犬山市議会議員選挙に出馬し初当選。2003年(平成15年)4月、市議選に2期目の当選。 2006年(平成18年)11月20日、犬山市長の石田芳弘が翌年2月実施の愛知県知事選挙に出馬するために辞職[3]。これに伴って同年12月17日に行われた犬山市長選挙に無所属で出馬。同選挙は計8名の候補者による争いとなったが、山田は次点で落選。当選者はかつて秘書として仕えた田中志典であった[4]。 ※当日有権者数:58,922人 最終投票率:56.72%(前回比:-7.91pts)
2007年(平成19年)4月、犬山市議選に出馬し3期目の当選。2011年(平成23年)4月、4期目の当選(3,368票を得てトップ当選)[5]。 2014年(平成26年)10月20日、翌月の犬山市長選挙に立候補することを表明[6]。同年11月30日に行われた市長選では、市民団体「新時代の市長を創る会」を中心にボランティアらが活発に活動。石田芳弘前市長のほか、民主党系や日本共産党所属の市議らの支援も受け、現職の田中志典を破り初当選した[7]。選挙の結果は以下のとおり。 ※当日有権者数:58,941人 最終投票率:54.13%(前回比:+3.31pts)
2018年(平成30年)、計20人の市議のうち17人の支援を受け、元職の田中志典を破り再選[8]。投票率は49.63%で過去最低を記録した[9]。選挙の結果は以下のとおり。 ※当日有権者数:60,183人 最終投票率:49.63%(前回比:-4.50pts)
2022年(令和4年)4月28日、「政策課題としていた案件はおおむね達成、もしくは道筋が付いた。市長としてやるべきことはやりきった」として、同年11月20日告示の市長選には出馬せず、2期8年で退任すると表明した[10]。 11月20日告示の犬山市長選挙では、元愛知県議会議員の原欣伸を後継指名し全面支援し、原の選挙演説に精力的に応援弁士として入った。11月27日の投開票の結果、元市議の丸山幸治、元市長の田中志典を破り原が当選し[11]、山田は「市政を担うスタートラインに立った」と喜んだ[12]。 市政
人物市議時代からの座右の銘は「信なくば立たず」[18]。政治は民衆の信頼がなければ成り立たない、という意味。 統一教会との関係2022年(令和4年)8月24日、自身のFacebookにて、旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)との関係について公表した[19][20][21]。山田は2019年から2021年にかけて世界平和統一家庭連合とその関連団体主催のシンポジウムなどに計4回出席し、市政報告や挨拶をした。このうち1回は犬山市と市教育委員会が後援名義の使用を許可しており、市などは同月22日に後援を取り消した。山田が出席したのは2019年(令和元年)6月22日、市の複合施設「フロイデ」で開かれたシンポジウム「魁モデルシティづくり犬山」で、翌日も別のイベントで挨拶したほか、2020年2月と2021年11月には、旧統一教会の犬山市内の施設で市政報告も行った[22]。いずれも謝礼は受け取っていないという。また、犬山市は2018年から4年間に渡り教会の関連団体から計5回、合わせて35万円の寄付金を受け取っており、市の広報に団体名が掲載されていた。山田は「公職者が接点をもつことで、公的に(団体を)奨励するかのような印象を世間に与えてしまう」として謝罪し、今後は「組織とは一線を引いて対応したい」とした。 →「世界平和統一家庭連合と政界との関係」も参照
脚注
外部リンク
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