安楽兼道
安楽 兼道(あんらく かねみち、1851年1月13日(嘉永3年12月12日) - 1932年4月12日)は、日本の内務官僚、政治家。県知事、貴族院議員、警視総監、実業家、錦鶏間祗候。 経歴薩摩藩士・新納一角の二男として薩摩国給黎郡喜入郷中名村麓(現在の鹿児島市喜入町)に生まれ[1]、安楽兼通の養子となる。明治4年4月(1871年5-6月)、御親兵徴士として上京。1873年10月に除隊し帰郷したが、1874年11月に再上京した。 1875年3月、警視庁警部補に任官。以後、石川県三等警部兼金沢警察署長、石川県警察本署長、警視庁品川警察署長、高知県警察部長、熊本県警察部長、熊本県書記官などを歴任。 1896年12月、山口県知事に就任。以後、福島県知事、岐阜県知事を経て、1899年4月、内務省警保局長となる。1900年10月に警視総監に就任し、1901年6月まで在任。1904年8月22日、貴族院勅選議員に選出され[2]、交友倶楽部に属し死去するまで在任。1914年4月21日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[3]。 その後、警視総監に三度再任され、合計4度、警視総監を務めた。警視総監の再任経験者の中では最多再任回数である。 1915年7月から1921年5月まで大日本人造肥料株式会社会長を務めた。 その他、警察監獄学校商議委員、日本大博覧会評議員、大喪使事務官、大礼使参与官などを歴任した。墓所は青山霊園。 栄典・授章・授賞
脚注参考文献
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