渡辺融 (官僚)渡辺 融(わたなべ ゆずる、1844年10月17日(天保15年9月6日)[1] - 1924年(大正13年)1月4日[2])は、日本の裁判官、検察官、内務官僚。官選県知事、錦鶏間祗候。 経歴肥後国出身。熊本藩士・渡辺藤太の長男として生まれ、祖父・渡辺才右衛門の後を継いだ[1]。 明治5年(1872年)熊本県一等出仕となる[3]。1973年2月、白川県少属に就任[4]。さらに熊本県権中属となる[1]。その後、判事に転じ、熊本区裁判所長、中津区裁判所長を歴任。そして検事となり、高知地方裁判所検事、岐阜地方裁判所検事、名古屋地方裁判所検事を歴任[3]。1890年、安濃津地方裁判所検事正に就任[1]。以後、名古屋地方裁判所検事正、横浜地方裁判所検事正を歴任[3]。1897年12月、農商務省山林局長に就任。1898年7月5日、依願免本官となり退官[4][5]。 1900年1月、高知県知事に登用された。無理な土木事業等を進めず、また中学校の増設を行った[6]。1903年6月、山口県知事に転任。1912年6月、知事を辞職し退官した[1]。同年7月12日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[7]。 栄典・授章・授賞
脚注
参考文献 |