天満大池公園
天満大池公園(てんまおおいけこうえん)は、兵庫県加古郡稲美町六分一1179にある天満大池を整備した公園である。天満大池は総貯水量47万6000立方メートル、満水面積34.6ヘクタールの農業用ため池で、193.5ヘクタールの農地の灌漑に利用されている[1]。天満池は2010年(平成22年)3月25日に農林水産省のため池百選に選定された[2]。 概要天満大池の原形となった岡大池の築造は飛鳥時代後期である白鳳3年(675年)頃と推測され、兵庫県下で最も古いため池であるとされている[3]。 『兵庫県神社誌 中巻』所収の国安天満神社の縁起によれば、平安時代の寛平年間(889年 - 898年)に天満神社が現在地に移設され、池大明神が主祭神とされるようになったと伝承される[4]。 また、同じく『兵庫県神社誌 中巻』所収国安天満神社縁起によれば、南北朝時代最末期の元中7年/明徳元年(1390年)1月に、上方から来訪した律僧が同地に滞在した[5]。村人が律僧に、大池が毎晩光を発すること、池の魚が意識を失って浮かんでくることを語ると、律僧は大池に龍が棲んでいると告げ、弁財天を祀るように指示したという[5]。村民が律僧の言う通り弁財天を祀ると、はたして怪異は止んだ、と伝承される[5]。 日本史研究者の金子哲は、天満大池の本格的な改修事業は伝承通り、真言律宗とその総本山である西大寺の勢力によって14世紀末に行われたと主張する[6]。金子はその発端として、1300年代から1310年代にかけて真言律宗の高僧だった文観房殊音(真言宗の高僧としては文観房弘真。後に後醍醐天皇の腹心となる)が天満大池の北北西部で開始したとみられる開拓事業を挙げる[6]。そして、その開拓事業が100年近くかけて川沿いに進められ、文観の後継者の真言律宗勢力によって14世紀末に天満大池に到達したのではないか、としている[6]。また、前述の律宗高僧来訪伝説は、この文観らの開拓事業が反映されたものではないか、と推測している[6]。 ただ天満大池は1945年10月に襲来した阿久根台風の影響で決壊した[7]。 東播地方はその数4万を超える日本で最も多くの溜池が見られる地域であり、天満大池は加古大池の130万tに次ぎ兵庫県で2番目に大きなため池であるが、これは甲子園球場の約8.5倍に相当する。 バイパス工事2019年、兵庫県土整備部は、宗佐土山線天満大池バイパス整備事業で、天満大池に架かる橋梁の詳細設計を建設計画(神戸市東灘区)に委託した[8]。2020年から兵庫県は、稲美町の天満大池を南北に貫く全長960メートルの「天満大池バイパス」(稲美町国安-稲美町六分一)の工事に着手。近くを走る兵庫県道84号宗佐土山線は、2車線で歩道がなく、狭い上に交通量が多いため、危険性が指摘されていたためである。天満大池の上に橋を架け、4車線で中央分離帯や歩道も整備し、兵庫県道381号野谷平岡線に接続する予定で、2026年の完成を目指している[9]。ただ自然や景観を破壊するなどの理由で反対する声もあったが、すでに池の水を抜き、重機を使っての「宗佐土山線天満大池バイパス道路整備工事」が進められている。天満神社の秋祭りで神輿を池に投げ入れ、氏子が池の中に飛び込む伝統行事の光景も様変わりしてしまうだろう。 交通アクセス天満神社池の北側すぐ横に隣接するように天満神社があり、秋祭りの御輿渡御の際の禊ぎでは神輿を池に投げ込んだあと、「十六人方」と呼ばれる氏子が池の中へ飛び込むと神輿を担ぎ、五穀豊穣と池の満水を祈願する珍しい行事が見られる。御輿渡御は、御輿練番の地区が担当する。 自然池には絶滅危惧種に指定されているアサザが自生し、アサザ観察会、アサザ里親プロジェクト、フォーラムなども開催されている。また多くの野鳥の憩い場ともなっている。 市民が憩える多目的公園として整備されており、池中の中の島には新たに弁財天が祀られ、ぶらんこ、滑り台などの遊具やあずまや、バーベキューサイト、駐車場などが設置された。ビオトーププランにより、本来の自然の水辺を復活させる試みも行われている。また、釣りやカヌー、バードウォッチングなどの基地にもなっており、秋にはすぐ隣の休耕田のコスモスの群落が美しい。 参考脚注
参考文献
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