大隅良典
大隅 良典(おおすみ よしのり、1945年(昭和20年)2月9日 - )は、日本の生物学者(分子細胞生物学)。学位は、理学博士(東京大学・1974年)。東京科学大学科学技術創成研究院特任教授・栄誉教授、自然科学研究機構特別栄誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、基礎生物学研究所名誉教授、東京大学特別栄誉教授。福岡市名誉市民、大磯町名誉町民、京都大学名誉博士、大隅基礎科学創成財団理事長。 自然科学研究機構基礎生物学研究所教授兼総合研究大学院大学生命科学研究科教授、東京工業大学フロンティア研究機構特任教授などを歴任した。「オートファジーの仕組みの解明」により2016年のノーベル生理学・医学賞を受賞した。 来歴生い立ち太平洋戦争末期の1945年2月9日、福岡県福岡市にて生まれた[1][2]。4人兄弟の末子である[2]。父大隅芳雄は九州大学工学部教授を務めていた。なお父は、佐世保工業高等専門学校3代目校長を務めていた。家は福岡市の外れにあり、周囲は農家の子どもたちばかりという環境で、皆と一緒に自然の中で遊んだ[2]。幼い頃から、兄の和雄から贈られた自然科学の本に親しんだ[2]。特に八杉龍一の『生きものの歴史』、マイケル・ファラデーの『ろうそくの科学』、三宅泰雄の『空気の発見』などに心を動かされ、科学に興味を持った[2]。 福岡県立福岡高等学校では化学部に所属した。卒業後、東京大学理科二類に進学[2]。当初は理学部で化学を学ぼうと考えていたが、教養学部に新設された基礎科学科に興味を持ち、そちらに進む[2]。基礎科学科の同級生には、神原秀記や渡辺公綱らがいた[2]。1967年に東京大学を卒業し、学士の称号を取得した[1][2][3]。そのまま東京大学大学院理学系研究科相関理化学専攻(同専攻の場所は駒場)に進学した[2][4]。タンパク質の生合成についての研究に魅力を感じ、今堀和友の下で指導を受けた[2]。なお、博士課程においては、京都大学大学院でも内地留学して学んでいる[2]。1972年に、東京大学大学院を単位取得満期退学した[3]。その後、1974年東京大学より理学博士の学位を取得した[1][2]。論文の題は「コリシンE3の作用機作に関する研究」[5]。 研究者として恩師である今堀和友の紹介でジェラルド・モーリス・エデルマンの研究室に留学することになり、アメリカ合衆国に渡り、ロックフェラー大学の博士研究員となった[1][2]。その頃のエデルマンは、従来研究していた免疫学を離れ発生生物学に取り組み始めていたため、大隅も試験管内での受精系の確立の研究に従事した[2]。 東京大学理学部の安楽泰宏に声をかけられたのをきっかけに、日本に帰国した[2]。1977年より1986年にかけて、東京大学理学部にて助手を務めた[1][2]。1986年には東京大学理学部にて講師に昇任し、1988年まで勤めた[1][2]。同年に東京大学教養学部に転じ、助教授に就任した[1][2]。1996年、岡崎国立共同研究機構が設置する基礎生物学研究所に転じ、同教授に就任するとともに[1][2]、総合研究大学院大学生命科学研究科基礎生物学専攻教授も兼任した[6][1][2]。2009年、基礎生物学研究所と総合研究大学院大学の教授を退任することとなり、それぞれ名誉教授の称号が贈られた[1]。同年、東京工業大学にて、統合研究院の特任教授に就任した[2]。現在は、東京工業大学フロンティア研究機構にて特任教授を務めている[3]。 研究専門は生物学であり、特に分子細胞生物学などの分野を研究している。オートファジーの分子メカニズムや生理学的な機能についての研究が知られている。その研究論文は他の研究者から多数引用されており、2013年にはトムソン・ロイター引用栄誉賞を受賞している[7]。そのほか、藤原賞、日本植物学会学術賞、朝日賞などを受賞している[2][8]。2006年、日本学士院は、大隅の業績について「一貫してオートファジーの分子機構の解明に正面から取り組んでおり、他の追随を全く許さない研究を続けている」[9]と高く評価し、日本の学術賞としては最も権威ある日本学士院賞を授与している[2][8][10]。2012年には、「生体の重要な素過程の細胞自食作用であるオートファジーに関してその分子メカニズムと生理的意義の解明に道を拓いたものとして高く評価される」[11]として、ノーベル賞を補完する学術賞として知られる京都賞の基礎科学部門を受賞している[12]。細胞が自らのタンパク質を分解し、再利用する「オートファジー」(自食作用)の仕組みを解明し、悪性腫瘍の特効薬を発明した功績が認められガードナー国際賞を受賞した。2016年10月3日、「飢餓状態に陥った細胞が自らのタンパク質を食べて栄養源にする自食作用『オートファジー』の仕組みを解明した」卓越した成果が認められ、ノーベル生理学・医学賞を単独受賞する。メカニズムの詳細については「オートファジー」を参照。 所属学会は日本生化学会、日本分子細胞生物学会、日本植物学会、日本植物生理学会などに所属。 人物
トレードマークの髭はアメリカ合衆国に留学した頃から伸ばし始めた。顔が若く見えることでアメリカ人から見下されるのが嫌で髭を伸ばすようになったという[2]。 家族・親族
略歴
学術賞
栄典・勲章主要論文
著作編纂
翻訳
脚注
参考文献
関連人物関連項目外部リンク
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