外祖父外祖父(がいそふ)は、ある人からみた母親の父親、母方の祖父[1][2]。 日本の歴史においては、藤原氏などの有力な貴族などが娘を天皇に嫁がせ、その子が幼くして天皇として即位すると外祖父となり、外戚の中でも特に大きな権力を握ることがしばしばあった[3]。 天皇の外祖父藤原良房は、842年(承和9年)の承和の変を経て道康親王が立太子され、さらに850年(嘉祥3年)に文徳天皇として即位する過程で、勢力を伸ばし、娘である明子を天皇の女御とした。やがて、文徳天皇と明子の間に生まれた惟仁親王を立太子させ、さらに858年(天安)に清和天皇として9歳で即位させると、太政大臣、あるいは摂政として実権を握った。 以降、藤原氏(藤原北家)はしばしば同様に、天皇の外祖父など外戚として摂政や関白などの地位を占め、例えば藤原道長は後一条天皇の、また九条道家は四条天皇の外祖父として、それぞれ摂政となった。 平清盛も、娘である徳子を高倉天皇の中宮とし、その間に生まれた言仁親王が生後間もなく立太子された。1180年(治承4年)、言仁親王は、上皇となって院政を布いた父から譲位され、満1歳4か月で即位して安徳天皇となったため、清盛も最晩年の1年弱の間は天皇の外祖父であった[3]。 即位の時点で外祖父が健在であった最後の天皇は明治天皇であり、生母である中山慶子の父、中山忠能は1888年(明治21年)まで存命であった[4]。現在の上皇の外祖父は、母である香淳皇后の父、久邇宮邦彦王であるが、出生時には既に故人であった。また、今上天皇の外祖父は、母である上皇后美智子の父、正田英三郎であるが、既に故人である。 脚注
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