大野一郎
大野 一郎(おおの いちろう、1890年(明治23年)1月23日[1] - 1973年(昭和48年)12月8日[1])は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。位階勲等功級は従三位勲一等功三級[2][3]。 経歴愛知県出身[1]。1910年(明治43年)7月、海軍兵学校第38期を卒業し[2]、1911年(明治44年)12月に海軍少尉に任官した[2]。その後、「伊吹」「榛名」各乗組や[2]、「扶桑」分隊長などを歴任し[2]、海軍砲術学校高等科を卒業した[2]。1921年(大正10年)12月に海軍大学校甲種第21期学生となり[2]、1922年(大正11年)12月に海軍少佐に進級[2]。「五十鈴」「伊勢」各砲術長、第2艦隊参謀などを歴任し[2]、1927年(昭和2年)12月に海軍中佐に進級した[2]。その後、陸軍重砲兵学校教官[2]、「鳳翔」「加賀」各副長[2]、大村海軍航空隊司令などを歴任し[2]、航空畑を歩んだ[1]。 1932年(昭和7年)12月に海軍大佐に進級し[2]、「龍驤」艦長[2]、「蒼龍」艤装員長[2]、横須賀海軍航空隊副長兼教頭[2]、舞鶴要港部参謀長[2]、館山海軍航空隊司令などを経て[2]、1938年(昭和13年)4月25日に「加賀」艦長に着任した[2]。同年11月15日に海軍少将に進級し[2]、12月15日に霞ヶ浦海軍航空隊司令に転じた[2]。1940年(昭和15年)10月に厦門方面特別根拠地隊司令官に就任し[2]、同方面に出動。1941年(昭和16年)10月に大島方面特別根拠地隊司令官に転じ[2]、1942年(昭和17年)2月14日に上海方面特別根拠地隊司令官兼上海海軍特別陸戦隊司令官に就任し[2]、5月1日には海軍中将に進級した[2]。1943年(昭和18年)8月に揚子江方面特別根拠地隊司令官に転じ[4]、1944年(昭和19年)4月1日に大阪警備府司令長官に親補された[4]。同年11月1日に軍令部出仕となり[4]、12月15日に待命[4]、12月20日に予備役に編入された[4]。 年譜
脚注
参考文献
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