大地は器大地は器(だいちはうつわ)は、ミクストメディアを手掛ける地域アート作家・池田修造が、地元である丹後地方そのものが美術館のようなものであるとして[1]、場(地域)と文化(芸術)の融合をはかり、日常生活のなかで芸術に触れる場を築くため、2010年(平成22年)5月に京都府京丹後市網野町浜詰に開館した「ヒカリ美術館」でプロデュースする、企画コンセプト[2][3]。 また、池田修造が代表を務める丹後在住アーティストによる団体「丹後アート会議」(2017年 - )の正式名称である。公式文書では、団体名は丹後アート会議「大地は器」と記載される[4]。 概要京丹後市網野町にあるヒカリ美術館館長の池田修造を中心とした丹後在住のアーティストによる、地域の歴史や文化、環境を芸術を通して考え、芸術による地域活性化を図るべく立案、開催されている様々なプロジェクトの、支柱となっている概念が「大地は器」である[5]。現在の丹後の風景は、歴史的、地理的な様々な要素の連鎖によって、そこに生きる人々の営みのなかで文化が生まれ育ってきた結果つくられてきたものであるとみて、大地がそうした人々の営みから生まれる文化の器であり、芸術もそうして育まれた文化の一形態であるという、池田修造の思想を反映したコンセプトである[3]。 丹後地域で最初の美術館であったヒカリ美術館開館年の2010年(平成22年)には、京丹後市観光芸術推進倶楽部を発足して、京丹後市丹後町中浜地区一帯を会場に「日韓間人展2010 in 中浜」を企画、約3週間に及ぶ一大イベントを開催した[5][6]。2013年(平成25年)は、茜色の祭典実行委員会を立ち上げ、「茜色の祭典」を企画し開催[7]。2015年(平成27年)は「文化と自然とまちづくり」実行委員会を組織し、網野町と久美浜町でアートイベント「大地は器2015」を主催[8]。この際、イベントの顔として久美浜町の葛野浜に設置された「風還元 - 巨大な土の球体∅4.1m」は、新潟県十日町市で2015年7月26日から9月13日にかけて開催された「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2015」で展示された後に当地に運ばれ[9]、現在は、長野県原村の森の中に展示されている。2016年(平成28年)以降は「丹後アート会議」主催として、京丹後市峰山町内の空き家を活用した数々の展覧会や、ワークショップを企画した[10]。 2010年「2010日韓間人展 in 中浜」2010日韓間人(はしうど)展 in 中浜は、2010年(平成22年)に京丹後市丹後町中浜地区一帯で展開された、アートを通した国際交流イベントである[11]。芸術活動を通して地域の観光振興へ貢献することをめざし、丹後在住の現代芸術作家・池田修造ら地元アーティスト7名で結成された観光芸術推進倶楽部の主催で開催された[12]。 中浜地区は、夕日が沈む漁港を中心に、時代を感じる旧郵便局や井戸や酒蔵等があり、間口2間ほどの狭い路地が続く昔ながらの町並みが残るが、過疎化がすすみ、空き家も多い[13]。その空き家をギャラリーとして活用し、地元の小中高校生や住民にもなんらかの形で参加してもらい、新たな価値を創出しようと企画されたものである[14]。 期間中、漁村は美しい自然や豊富な食材が盛られた大きな「器」[15] と見立てられ、国内外から12名のアーティストが招かれ[12]、陶芸や舞踏などジャンルを問わず様々な芸術を披露したほか[16]、地元の酒蔵「永雄酒造」の酒蔵アートや、丹後ちりめんの小物や着物の古着市など、地域性を活かした取組が企画された[17]。アーティストらの作品は中浜地区の空き家など10カ所で展示され、世界的なサウンド・アーティスト鈴木昭男により、町内6カ所に、立ち止まって町の息づかいを拾うことができるスポットに足跡のマークをつけた「点音」が設置された[18]。 企画展の名称に掲げられたこの付近の地名である「間人」は、本来はたいざと発音するが、主催者によれば、当地に縁ある聖徳太子の生母間人皇后の伝説[注 1] にあやかり「古代からの日本と韓国のつながりを、今また新たな出会いへつなげ、芸術を通じた国際交流はもちろんのこと、この土地ならではの体験・発見・感動の場をつくり出したい。」として、はしうど展とされた[11][19]。合言葉は「よ〜きなったなあ」[11]。アーティスト・イン・レジデンスにより、韓国から招かれた陶芸家3人が約2週間、市内に滞在し、ゆうゆう作業所(丹後町大山)を拠点に創作活動を行いつつ、陶芸教室などを開いて地域住民と交流した[11][20]。滞在期間の後半では、中浜地区の空き家をギャラリーとして活用し、制作した作品を展示する美術展を開催[11]。滞在中に制作された作品は、帰国の際、中浜地区に寄贈され、その後2010年(平成22年)10月1日 - 10月31日にかけて、「韓国陶芸作家作品」展としてヒカリ美術館で展示された[7]。 イベント概要開催企画
参加アーティスト日本
このほか、無数の風鈴(ヒカリ美術館)や、「あとりえ・あい」「あ・ぽいんと」「いちご・いちえ」による和布留展、古い大漁旗と丹後地方の貝殻の展示などが開催された[11]。 韓国5名の陶芸家が来日し、うち3名が市内に滞在して8月30日から9月4日にかけて作陶を行い、9月12日から17日にかけて中浜地区の空き家で展示された[23]。作品はその後、中浜地区に寄贈され、翌月、網野町浜詰のヒカリ美術館でも展示された[注 5]
2012年「アートレストラン」2012年(平成24年)5月4日、ヒカリ美術館を会場に1日限りの「アート・レストラン」を開店した[7]。 「大地は器」をテーマに、火を使い、丹後の旬の食材で調理した料理を提供した。会場となったヒカリ美術館の池田修造がテーブルアートを、東村幸子が空間演出を担当し、フードクリエーターに浪江正人、サウンド・アーティストに山崎昭典を迎え、飲み物は地元の酒造メーカー竹野酒造(弥栄鶴)が提供した[7]。 2013年「丹後建国1300年 茜色の祭典」2013年(平成25年)夏に開催された[24]。丹後の海の向こうには、縄文・弥生の時代から丹後半島と深いかかわりがある大陸があり、丹後の大地からはかつて交易によって大陸からもたらされた多くの品々が出土している[24]。企画展コンセプトは、この海の道が高度な文化を生み、日本の源となった歴史から、古代のエネルギーであった「太陽」と「炎」をテーマに、東アジアの平穏や日本海側の隆盛を願うとされた[24]。主催は、池田修造を代表として結成された茜色の祭典実行委員会。事務局はヒカリ美術館。会場はおもに夕日ヶ浦海岸西駐車場で開催された[24]。 プレイベント・関連企画
陶塤(とうけん)は、弥生時代の土笛といわれ、丹後地方から福岡県までの日本海側約20カ所の遺跡から出土している。京丹後市では竹野遺跡、途中ヶ丘遺跡、扇谷遺跡から出土した。ワークショップでは、鈴木昭男による制作指導のほか、演奏や講演「古代のロマンを語る」も開催された[27]。
メインイベント開催日時2013年(平成25年)8月31日(土) 茜色の祭典 夕日と炎の饗宴 開催企画1,000個の竹のランプシェードが、砂浜を星空のように演出し、古代のオブジェや炎の演出が彩る会場で、丹後の食材にこだわった「茜色のレストラン」を開店、夕日観察の後、サンセットライブが行われた[24]。 ステージアーティストは、山崎昭典(アコースティックギター)、中川裕貴(チェロ)、安田敦美(歌)、misuzu(ダンス)。
2014年 第3回夏休みジオパーク「大地は器」で遊ぼう「海の京都」と称される京丹後の海の魅力を伝えるイベントとして、京丹後市丹後町の中浜漁港を中心に、体験型プログラムを中心に開催された夏休みイベント[7][28]。丹後の海や自然を感じるアートイベントのほか、地魚の競り市や小魚釣り体験、海の生き物の紹介コーナーなど、丹後の海にまつわる様々な体験や見学イベントが開催され、参加者に漁港めしなどが振る舞われた[28]。 1日目(7月28日)
2日目(7月29日)
2015年「大地は器2015」「文化と自然でまちづくり」実行委員会が主催し、京丹後市網野町、久美浜町で2015年(平成27年)に開催した、およそ半年間に及ぶアートイベント[31]。2015年5月から9月までの約5か月間をプレイベント期間とし、陶芸ワークショップなどを開催[31]。メインイベントは9月20日から11月7日の約6週間、町内4カ所で「ヒカリ」をテーマにした展覧会「丹後派展」を開催し、芸術作品の展示が行われた[31]。イベント事務局は、ヒカリ美術館[31]。 メインイベントの目玉は、三重県伊賀市在住の彫刻家大平和正による「風還元 - 巨大な土の球体∅4.1m」と題された直径4.1メートル、総重量21トンの巨大な土の球体作品で、巨大な古墳群や石棺などの古代遺跡が多く存在する丹後地方ならではの、古代のエナジーを抱く時空を超えたモニュメントとして歓迎された[31][32]。この球体作品は、「風還元 土の球体プロジェクト展」で約3週間、葛野浜に設置された[9]。当時の京丹後市長・中山泰が見学に訪れ、山陰海岸ジオパークのシンボルとして丹後の海に設置したいと申し出たことにより、この後に予定されていた東京都中野区「中野四季の森公園」での展示[注 6] を終えた後ふたたび京丹後市に戻り、同年11月に京丹後市に寄贈されたが、市はその後、防護柵の設置を巡って作家側と意見が対立し[注 7]、球体はその後3年以上風雨にさらされて劣化したため、市が移設費用を負担して作家に返還した[32]。球体は、大平の知人が経営する長野県原村の森の中にあるレストラン「カナディアンファーム[33]」の敷地に設置されることになり、2018年12月11日、京丹後市から移設された[32]。 プレイベント2015年(平成27年)5月16日 - 9月6日をプレイベント期間として、様々な体験型企画が開催された[31][34]。 開催企画・日時・場所
メインイベント開催日時2015年(平成27年)9月20日 - 11月7日 開催企画・開催場所
関連イベント
2017年「日本海×アート×漂流」展古代には外国の文明も伝えられた歴史を振り返りつつ[36]、丹後半島の海岸に毎年打ち上げられる漂流物は、大地に住む人間の廃棄物を大地に返して浄化しようとする自然からの環境悪化を訴える声であるとして[37]、海岸に出て漂流物を拾い、作品として展示することで、市民や観光客に丹後半島の現状を訴え、地域の環境に目を向け考えてもらうきっかけとすることをねらい、開催された[4]。 主催は、2017年(平成29年)4月に結成された丹後アート会議「大地は器」(代表:池田修造 - ヒカリ美術館)[4]、ヒカリ美術館[37]。丹後アート会議「大地は器」は、池田修造、東村幸子、岡本タロー、坂井義彦、溝渕真一郎、中前寛文、太田敬二、沖佐々木範幸の8名の丹後在住アーティストによって組織された[38]。 イベント概要
開催企画旧田中家具店では、6名の作家による約30点の作品が出品された[36]。漂流物を用いたオブジェや絵画が展示され[39]、とくに注目を集めたのは、池田修造による絵画作品「オイル・オン・キャンバス」で、この絵画は1997年(平成9年)のロシア船籍のタンカー・ナホトカ号重油流出事故で、網野町の海岸に漂着した重油を絵の具の代わりに用いて描かれていた[36]。17日には、浮標にアクリル絵の具で彩色するアートワークショップが行われた[39]。 旧藤バーでは、この年に生誕100年を迎えて日本でも伝記映画[40] が公開された朝鮮半島出身の詩人で、戦時中に来日し、同志社大学在学中に治安維持法違反で逮捕され、服役中に亡くなった尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩をモチーフにした作品などが展示された[41][42] ほか。来場者がアーティストらとコミュニケーションを楽しむ空間として開放された[36]。 旧高田酒店では、貝殻や陶片などの海岸漂着物をアクセサリーなどに加工するワークショップが行われた[36][39]。 参加アーティスト
ほか、東村幸子ら、あわせて6名。 2017年「器」と「食」のアートコラボレーション 大地は器2017年(平成29年)9月23日の昼夜の各1回、道の駅丹後王国「食のみやこ」で開催された「器」と「食」のアートコラボレーション - 丹後王国を、ヒカリ美術館の池田修造がプロデュースし、京丹後市久美浜町の豪商 稲葉本家で陶芸を指導する陶芸家の坂井義彦[43] が大地への思いを込めて焼きあげた陶器に、「食のみやこ」のカフェGRACIAの料理人である稲垣裕二が腕をふるった特別なコース料理が盛り付けられ、各回12名限定で提供された[44]。 2018年「メタモルフォーゼ×アート×漂着」展かつて海を渡り、大陸から伝わった絹織物は、今日も丹後ちりめんに代表される丹後半島の宝であり、養蚕はかつて主要な産業のひとつだった[45][46]。蚕がサナギになる前に繭を作るように、身の回りには多くの「変身」があるとして、ドイツ語で「変身」を意味するメタモルフォーゼ(Metamorphose)をテーマに掲げた[47]。 今日、海を渡って大陸から届く、朽ち果てる前のゴミとしか見做されない漂着物も、アートによって新たなに価値あるものに生まれ変われることを提示するとともに[48]、丹後半島が古今、大陸と密接な関係にあることを検証し、大量生産や大量消費の社会を見直す機会になるよう願って開催された[47][49]。 イベント概要
開催企画
参加アーティスト
ほか、池田修造ら、あわせて9名。 2023年 「大地は器 土と絵と音と」展イベント概要
参加アーティストと開催企画「韓哲・まちづくり夢基金」を活用し開催された。参加アーティストは、日本と韓国を往来して活動する丹後町在住の陶芸家カンビョンユン、23年のベルリン滞在歴をもつ豊岡市在住の画家である木本景子、宮津市在住のフルート奏者・奥野英恵、唄とギターのユニット「カタリコト」の安田敦美と山崎昭典の5人。19日にオープニングパフォーマンス、23日のパフォーマンスで木本景子のライブペイントと奥野英恵とカタリコトの演奏、26日に奥野英恵と山崎昭典のコンサート「タンゴの響き」が開催された[50][51]。 注釈
出典
なお、出典に使用したイベントチラシ・パンフレット類は、すべてヒカリ美術館で所蔵・閲覧可能である。 外部リンク |