丹後町
丹後町(たんごちょう)は、かつて京都府竹野郡に属していた町。丹後半島の北端部に位置していた。 2004年(平成16年)4月1日に丹後町を含む6町が新設合併して京丹後市が発足し、丹後町は廃止された。 象徴町章は、「丹」の字を図案化したうえで、横棒を翼に象り町の発展と飛躍を表現し、その下の白い部分で双葉を表現した[1]。 町の木はクロマツ、町の花はスイセン、町の特産品として間人ガニ、サバのへしこ、イワシなどの鮮魚、丹後ちりめんがしられた[1]。 丹後町は古くから拓かれた土地で縄文時代晩期の遺跡が点在し、古墳時代には有力な権力者の存在がうかがわれる全長180メートル超の神明山古墳など多くの古墳群がある。町はこうした歴史的遺産と豊かな自然を活かした丹後リゾート構想に基づく開発連携を図り、基盤施設の整備や地域産業の振興に力を注いだ[1]。 地理京都府の最北端に位置し、北側は日本海に面していた[2]。南東は与謝郡伊根町と、南は竹野郡弥栄町と、西は竹野郡網野町と接していた[2]。町域の一部は丹後天橋立大江山国定公園の丹後半島沿岸地区に含まれていた。 気候は日本海岸特有の海洋性気候であり、山陰地方とほぼ同じ気候となる[3]。冬季の積雪は北陸地方より少ないものの、平地では30-50cm、山間部では100-200cmの積雪となることが多い[3]。毎年秋季から冬季には、うらにしと呼ばれるこの地域特有の季節風が吹く[3]。うらにしは瞬間的な南西風であり、この季節のこの地域における不安定な気象状態のことも指す[3]。 地形
丹後半島の中央部には丹後山地が形成されており、北西に延びる金剛童子山の山系が依遅ヶ尾山まで続いている[4]。
丹後町には竹野川や宇川が流れており、いずれも両岸に沖積平野を形成している[4]。両河川の流域や日本海沿岸には小さな平地が形成されており、その平地に大小の集落と農地が点在している。
地域丹後町東部の14の大字を総称して宇川と呼ばれる。 戦後には山間部の集落を中心として離村・廃村(丹後町の離村・廃村)が相次いだ。
歴史
行政歴代町長姉妹都市人口と世帯数
経済織物業この地域では歴史的に織物業が盛んであり、明治初期には与謝郡加悦町や中郡峰山町などから丹後ちりめん産業が導入された[8]。第一次世界大戦時の1917年(大正6年)から1919年(大正8年)が戦前の全盛期であり、この地域には約150戸の機屋と400台の織機があった[8]。1927年(昭和2年)3月7日の北丹後地震では大きな被害を受けたが、手織機から力織機への転換が図られるとともに経営規模を拡大させ、1940年(昭和15年)のこの地域には1000台以上の織機があった[8]。1973年(昭和48年)の丹後町における機業戸数は838戸、織機台数は2,975台であり、戸数の内訳は専業が318戸、兼業が453戸、その他が66戸だった[8]。 漁業丹後町では漁業も盛んであり、ブリ・鯛・カレイ・イカ・カニ・わかめ・海苔などが漁獲される[9]。間人漁港のブランドとして「間人ガニ」(たいざガニ)がある。間人漁港に水揚げされる松葉蟹(ズワイガニ)のうち、厳しい選別を経たものだけが間人ガニとして出荷される[10]。 教育高等学校
中学校小学校廃校
交通道路一般国道 一般県道 道の駅 名所・旧跡・観光スポット名所
旧跡観光スポット
出身者
脚注注釈出典
参考文献
関連項目 |