国鉄ホキ6500形貨車
国鉄ホキ6500形貨車(こくてつホキ6500がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)に在籍したカーバイド専用 25 t 積みホッパ車である。 概要1956年(昭和31年)8月30日に汽車製造、川崎車輛、三菱重工業の3社にてホキ190形4両(ホキ190 - ホキ193)が製作された。ホキ190形は、1957年(昭和32年)4月の形式変更によりホキ1900形(初代)に改められ全車改番された。 その後も製造は継続され、1959年(昭和34年)1月22日までに12両(ホキ1904 - ホキ1915)が増備された。 ホキ1900形(初代)は、1963年(昭和38年)7月26日の称号規程変更によりホキ6500形に改められ全車改番された。 所有者は日本ゼオン、三菱化成工業の2社であり、夫々の主な常備駅は能町駅、黒崎駅であった。 1967年(昭和42年)12月14日に、三菱化成工業所有車5両(ホキ6511 - ホキ6515)が鐘淵化学工業へ名義変更され常備駅は、塩浜駅へ変更した。 1971年(昭和46年)6月28日に、三菱化成工業所有車3両(ホキ6508 - ホキ6510)が日本陸運産業へ名義変更され常備駅は、高砂港駅へ変更した。この車は同年11月6日にタキ1500形3両(タキ31598 - タキ41500)へ改造された。 箱型有蓋ホッパ車である内部は6室構造になっており、夫々の積込口、取出口を備えていた。荷役方式はホッパ上部積込口よりの上入れ、側面の取出口からの横出し式であった。 車体塗色は黒で、全長は14,100 mm、全幅は2,523 mm、全高は3,690 mm、台車中心間距離は10,000 mm、実容積は26.3 m3、換算両数は積車4.5、空車2.2である。台車は、ベッテンドルフ式のTR41Cであった。 1973年(昭和48年)に最後まで在籍した車が廃車になり形式消滅した。 年度別製造数各年度による製造会社と両数、所有者は次のとおりである。(所有者は落成時の社名)
参考文献
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