吉田直樹 (ゲームクリエイター)
吉田 直樹(よしだ なおき、1973年5月1日[4] - )は、日本のゲームクリエイター。北海道札幌市生まれ、函館市育ち[5]。 略歴1973年札幌市生まれ。小学校1年の時に函館市に転居、高校時代まで在住[5]。 函館稜北高校卒業後[注 1]、札幌のハドソン系列の専門学校を経て、1993年株式会社ハドソンに入社。PCエンジン向けタイトルの開発をはじめ、『天外魔境』シリーズや『ボンバーマン』シリーズのゲームデザインに従事[7]。 ハドソン退社後、元ハドソン社員が設立した株式会社ロケットスタジオへ入社。エニックス(後のスクウェア・エニックス)と共同の『アンブロシア オデッセイ』の開発に関わる。 2004年末頃、『ドラゴンクエスト オンライン』(後の『ドラゴンクエストX』)制作に伴い、齊藤陽介の招聘で翌2005年1月にスクウェア・エニックスに入社[8]。その後ディレクターとして『ドラゴンクエスト モンスターバトルロード』シリーズに携わる。 『ドラゴンクエストX』ではチーフプランナーを務め、2007年末から2009年半ば頃まで一時離脱していたディレクターの藤澤仁の代理を務める。藤澤が復帰し業務が安定したところで、新規プロジェクト立ち上げのため『ドラクエX』プロジェクトから離脱[9]。 2010年12月10日、『ファイナルファンタジーXIV』開発運営体制変更のため、田中弘道および河本信昭の両名に代わり同ソフトのプロデューサー兼ディレクターに就任[10]。 2015年4月1日、スクウェア・エニックス執行役員(開発担当)に就任[11]。 2018年4月1日、スクウェア・エニックス取締役就任。執行役員(開発・部門担当)と兼務、取締役兼執行役員[12]。 2019年4月1日、スクウェア・エニックス第三開発事業本部長就任[13]。 2025年4月1日、スクウェア・エニックス取締役退任。執行役員兼経営会議構成員就任。 人物第一種情報処理技術者試験(現:応用情報技術者試験)の資格を持ち、「FORTRAN」「COBOL」「BASIC」「C++」「アセンブラ」などのコンピュータ言語を扱える[14]。父親の経営する会社の経理システムをCOBOLで製作して稼働させたこともある。 中学・高校時代は素行が悪く、所謂ヤンキーであった。就活の際も第一希望は「チュンソフト」であったが、即採用となった「ハドソン」に就職した。この選択には母親を安心させたいという当時の吉田の思いがあったとのこと。面接の際に紫色のダブルスーツを着用しており、周囲からはヤクザが面接に来たと思われていたという[15]。 母親は保険外交員。セールス日本一を達成したほどの実力者であり、吉田は今も昔も口喧嘩では全く歯が立たないと語る。母親に鍛え上げられたトークスキルやディベート能力は吉田の特技となっており、過去にはひろゆきとも論争することがあった。そのためか、上司や重役に対しても自分の意見を貫き通す粘り強い性格であり、プロジェクトが行き詰まった場合には会長にまで直談判しに行くと語っている。実際に幾つかプロジェクトを止めたことがあるため「プロジェクトクラッシャー」と言われたこともあると述べている[16]。 ファッションとしてシルバーアクセサリーを好み、日常的に多数のアクセサリーを指や腕に身に着けている。その様子から「ジャラジャラしている」とされ、これについては吉田本人はもとよりユーザ-や開発陣からもたびたび言及されることがある。厚底のブーツも愛用しており社内においても特徴的な足音がするため、足音だけで吉田を判別できるという。車好きとしても有名であり、現在はスバル・WRX STIとスバル・BRZ tS(特別限定車)の2台を所有している[17][18]。 また、吉田は幼少の頃からゲームに触れており、『マリオブラザーズ』『ドラゴンクエスト』などに熱中していた[19]。社会人になってからも『ストリートファイターIII』『ザ・キング・オブ・ファイターズ』などの格闘ゲームや、『ディアブロ』『ウルティマオンライン』『エバークエスト』『ダークエイジオブキャメロット』などのオンラインゲームを遊んだと語っている。 肖像権において、吉田は自身の画像や動画は商用や公序良俗に反しない限りは容認する姿勢を取っており、ユーザーに引用されることも多い。このためかコーエーテクモ制作の「仁王2」のキャラクターコンテストにおいて、吉田直樹にそっくりなキャラクターが応募されたところ、特別枠で受賞する事態も発生している。なお、本件はコーエーテクモ側が吉田本人の了承を得て、公式プリセットとして正式に登録される運びとなった[20]。 『ファイナルファンタジーXIV』において2010年から行われた『ファイナルファンタジーXIV』の再構築にあたってはブリザード・エンターテイメント社のMMORPG『World of Warcraft』(WoW) の影響を大きく受けていると表明している。当時のインタビューによれば、「WoWの良いところを徹底研究したうえで、日本のエッセンスを取り入れたMMORPGを作れば、多くの日本人プレイヤーや家庭用ゲーム機のファンにとって、新鮮なゲーム体験を作り出せると思った」と述べていた[21]。『WoW』へのリスペクトは西村博之との対談でも語っており、西村の「今年(2021年)は『WoW』に勝ってしまった」との発言に苦言を呈し、「『FF14』は『WoW』がなかったら新生できていない。MMORPGのゲームデザインをまるっきり変えた『WoW』をお手本に、ストーリー部分をより強化したものを作ろうというのが『FF14』のコンセプトだった。」と述べ、勝ち負けで競うのは吉田にとっても迷惑だと付け加えた[22]。なお、『FF14』の新生エオルゼア発売前後はあまりの忙しさからか、睡眠時以外は常に仕事に追われていたと振り返っている[23]。 現在では『ファイナルファンタジーXIV』のプロデューサー兼ディレクターとしての業務のほか、プライベートでも本作を遊んでいると語っている。プライベートキャラは一切公表しておらず、海外出張などで長期にわたって会社や自宅を離れる際は、FF14をインストールしているノートパソコンを持ち歩き、宿泊先などでもログインしてプレイしているという。プレイスタイルとしては、PVPやエンドコンテンツへ参加することが多いとのことで、インターネット生放送ではその時の出来事を小出しに語るときもある。生放送時にもエンドコンテンツへ赴くことがあり、その際のキャラクターは黒魔道士のララフェル族を使用することが多い。 ゲーム業界における吉田の見解2020年代に入り業界で「メタバース」が注目されると、「メタバースというのは遊びではなく、”現実をデジタル世界に置き換えたシステムそのもの”というイメージで、メタバースにエンタメ性はあまり関係がないと思っている。自身が関わるのであればメタバースそのものを作ることではなくて、デジタル現実の中で遊ぶ、面白いエンタメコンテンツを作る、という方向になる」と持論を語った[24]。 また「JRPG」(日本製RPG・日本風RPGの意味)というジャンル分けについて快く思っておらず、差別用語のように感じていると表明している[25]。 自身がプロデューサーを務めた『FF16』の次作『FF17』については今後若手に譲る旨を示している[26]。 小惑星への命名2022年4月11日、太陽系内の小惑星の一つが「ヨシダナオキ」と命名された。命名権を持つRedditユーザーが『FF14』の熱烈なファンであり、吉田をリスペクトしてとのこと。SNSやマスメディアでも大きな注目を集めた[27]。 エピソード
作品
著作
メディア出演テレビ受賞
脚注注釈出典
関連項目外部リンク
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