加古川線
加古川線(かこがわせん)は、兵庫県加古川市の加古川駅から丹波市の谷川駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。 概要
兵庫県の中央部を流れる加古川に沿って山陽本線と福知山線を結んでいる路線で、播但線と同様に兵庫県内だけで完結するJRの路線である。山陽本線と分岐する加古川駅から厄神駅までは加古川の左岸を通ってから加古川を越え、市場駅から西脇市駅までは加古川の右岸を通ってから再び加古川を越える。 加古川線の前身となる播丹鉄道の建設の動機などから、加古川線には水運による貨物輸送に主眼を置いた駅、つまり元々の集落などからは離れた場所にある駅が目立ち、古くからの沿線住民には不便な側面もあった。さらに西脇市駅(当時は野村駅)から分岐していた鍛冶屋線は野村駅 - 西脇駅間の1駅間は加古川方面からのすべての列車が直通運転しており比較的利用客も多かったが、同線を廃線にしたことも響き、モータリゼーションの進展も相まって加古川線の利用客は減少傾向が続いていた。しかしパークアンドライドの普及や加古川線の電化、さらには山陽本線における新快速の充実に伴い、加古川線を使って山陽本線へと出て神戸市や大阪市などへの通勤輸送が増加してきた。だが、結局のところ、旅客需要が多いのは西脇市駅から山陽本線に出るまでの区間である。 1995年に発生した阪神・淡路大震災の際には、地震の被害で寸断された東海道・山陽本線(JR神戸線)の迂回路の役割を果たした。このように非常時の備えとしての意義が再認識された路線でもある。ところが加古川線は単線である上に、当時は非電化だったため、その輸送力には限界があり、加古川線と同じく当時は単線で全線非電化だったものの播但線も迂回路として利用された。この貧弱な輸送力に、非常時の代替線として播但線と加古川線の機能強化を求める声が起きた。播但線は寺前駅以北の勾配区間に狭小トンネルがあるため架線の設置が難しいのに対して[注釈 1]、ほぼ平地を走行しトンネルのない加古川線での架線の設置は全線とも比較的簡単であった。そうして、2004年12月19日に加古川線は全線が直流電化され、加古川線は電車のみが運行される路線となり、特に加古川駅 - 厄神駅間では都市近郊型の路線に変化した。こうして2013年4月1日には加古川駅 - 厄神駅間、同年8月10日には厄神駅 - 西脇市駅間が開業100年を迎えた。 起点の加古川駅、終点の谷川駅を除き、加古川線内の有人駅は西脇市駅のみである。 加古川駅 - 久下村駅間は近畿統括本部、谷川駅付近は福知山支社が管轄している。 全線が旅客営業規則の定める「大阪近郊区間」に含まれている。路線記号は I [2]。ラインカラーは青緑(■)で、車体色や駅名標でも使用されているが、これは神戸支社が管轄していた時期に、神戸支社によって独自に導入された色であった。2015年3月14日の路線記号導入にあわせて、ラインカラーの拡充が行われた[3]。 2016年3月26日から、ICカード「ICOCA」(およびICOCAと相互利用が可能なICカード)が加古川駅 - 西脇市駅間で使用可能になった[4]。 大雨に弱い路線で、遅延や運休も発生しやすい。 西脇市駅 - 谷川駅間は、2022年4月11日にJR西日本が公表したローカル線の線区別収支によると、2019年度の輸送密度が1日2000人以下、2017年-2019年の3年間の営業係数が1567と、JR西日本の電化路線・近畿統括本部管内ではワースト1となっており、JR西日本は路線の活性化策などを関係自治体と協議したい考えで、廃線も視野に議論が進む可能性があると報じられている[5][6]。 路線データ
平均通過人員各年度の平均通過人員(人/日)は以下のとおりである。
収支・営業系数2019年度(令和元年度)の平均通過人員が2,000人/日未満の線区(西脇市駅 - 谷川駅間)における各3か年平均の収支(運輸収入、営業費用、営業損益)、営業係数、収支率は以下のとおりである。▲はマイナスを意味する。
運行形態2022年4月現在、全線を通して運転される列車は1往復のみで、厄神駅・西脇市駅で運転系統が分かれている。ただし、全線を直通する列車も西脇市駅で列車番号が変わる。全列車が全線でワンマン運転を行うが、加古川駅 - 西脇市駅間は乗務員が運賃収受を行わない都市型ワンマンとなっている。全列車ともドアは半自動となっている。 加古川駅 - 西脇市駅間の列車が1時間に1本、加古川駅 - 厄神駅間の列車が日中の閑散時間帯を除いて1時間に1本、西脇市駅 - 谷川駅間の列車が2 - 3時間に1本運行されている。平日朝夕の通勤時間帯は加古川駅 - 粟生駅間の区間列車も設定されている。 列車交換は、主に神野駅・粟生駅で実施されるが、運行本数の多い時間帯では厄神駅・社町駅などでも行われる。 2010年度までは4・8・12月以外の第4土曜日に保守工事のため厄神駅 - 谷川駅間で日中の列車が運休していたが、2011年度からは日中の運休時間帯を設けなくなった。その反面、保守労力軽減のため、狭隘な箇所は25 km/hの速度制限が、日本へそ公園駅 - 黒田庄駅間などで実施されている。 年に数回、貸切列車として車内で生バンド演奏に合わせて童謡や唱歌などを乗客が合唱する「歌声列車」が運転されている。 阪神・淡路大震災の迂回路として1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、JR神戸線が寸断され、播但線と共に迂回路線として非常に重要な役割を果たした。 加古川線は播但線よりも迂回距離・所要時間も短いが、ワンマン運転が主体の線区で列車の行き違いのため編成両数が制限されること、および谷川駅の福知山線と加古川線を結ぶ構内配線が非常用の分岐器しかないことから福知山線への直通運転ができず、線内列車の増発および増結で対応した。加古川線では西脇市駅で運行形態が分かれており、西脇市駅で乗り換えが必要であったが、乗り換えを解消して直通列車を設定し、震災前に9本しかなかった直通列車は同年2月6日には45本に増加し、ほとんどの列車で直通運転が行われた。また加古川駅 - 谷川駅間で快速も運転された。 使用車両現在使用されている車両はすべて電車で、網干総合車両所明石支所加古川派出所に所属する125系および103系(3550番台)で運転されている。 加古川駅 - 西脇市駅間では103系が主力として運用されており、西脇市駅 - 谷川駅間では125系が全列車を担当している[23]。ただし、125系が検査などの場合には、103系が代走することがある[24]。多くの場合、103系は2両編成、125系は1両編成で運用されているが、平日朝ラッシュには125系の3両編成で運行される列車がある[25]。かつては103系4両で運転される列車も存在したが、2022年3月ダイヤ改正をもって設定がなくなった[25]。
横尾忠則のラッピング電車2004年12月19日の電化時から、103系に横尾忠則がデザインしたラッピング電車が運行され、2007年6月には4本目のラッピング電車の運行も開始された。しかし、2011年5月15日から車両の全般検査のため順次運行を終了し[26]、2012年11月18日を以って運行を終了した[27]。各編成の運転期間とテーマは次の通り。
現車に施された4種類のラッピング以外にさらに2種類ラッピング案が存在していたが、諸般の事情により採用されなかった[28]。
過去の車両加古川機関区所属のキハ20形などの気動車が使用されるとともに、同区所属のC12形蒸気機関車を牽引機として貨物列車が運行された。蒸気機関車は1972年3月で運用を終了した。 蒸気機関車の運用終了後、キハ37形やキハ30・35形、キハ23形が投入される[29]。国鉄分割民営化直前には、車両転属により加古川気動車区から姫路機関区へ籍を移している[30]。キハ20形は分割民営化後は野村駅(現・西脇市駅) - 谷川駅間での運用が基本となった。 分割民営化直後からキハ40・47形が転入し、1990年5月31日をもってキハ20形・キハ23形・キハ30形・キハ35形は運用を終了した[31]。なお、キハ35形については山陽本線兵庫駅 - 和田岬駅間(和田岬線)の専用車両に改造された。1998年10月ダイヤ改正にてキハ37形が運用を離脱した後は、キハ40・47形のみが運用されていた[29]。1999年からは、一部の車両に延命N40工事を施行されたが、2004年12月に加古川線が電化されたため、キハ40・47形は岡山・富山・後藤・豊岡へそれぞれ転属し、当路線からは気動車が姿を消した。 1989年にワンマン運転を開始した当初は、ワンマン運転対応車は非対応車と区別するため全ての扉をオレンジに塗装していた。 電化直前となる、2004年3月ダイヤ改正時点での車両配置と運用は、キハ40形が8両(2027・2078・2083・2084・2090・2092・2133・2134)、キハ47形が10両(27・36・66・138・140・1016・1028・1092・1133・1134)[注釈 2]が配置され、キハ40形は全線で、キハ47形は加古川 - 西脇市間で2両(加古川寄りに1000番台、谷川寄りに0番台)で運用された[32]。これらを組み合わせて1 - 4両まで組成されたが、全列車ワンマン運転とされた[32]。
全国公募によるイラスト列車1998年10月には、イラスト列車が運行された。車体のイラストは全国公募により2作品が選ばれ、川魚やトンボをデザインした車両を「せいりゅう号」(キハ40 2134)、恐竜の親子をデザインした車両を「きょうりゅう号」(キハ40 2133)と名付けた[33]。「せいりゅう号」は兵庫県加古川市在住の米田昌広、「きょうりゅう号」は東京都八王子市在住の主婦のデザインだった。その後、約5年間運行されたが、2003年7月に「せいりゅう号」、同年11月に「きょうりゅう号」が元の塗色に戻されイラスト列車は姿を消した[注釈 3]。
歴史
加古川水系の舟運を代替する目的で設立された播州鉄道と、その路線を譲り受けた播丹鉄道(播但線の前身である播但鉄道とは別)が開業させた路線を、戦時買収したものである。そのため、同じ播丹鉄道に属していた支線の高砂線・三木線・北条線、鍛冶屋線とは密接な関係があり、高砂線を除いてほぼ一体となった運行形態であったが、それらすべてが特定地方交通線として廃止となり、第三セクター鉄道やバス路線に転換され、本路線のみがJR線として残っている。 播州鉄道は加古川およびその支流で行われていた舟運を鉄道に代替する目的で路線を敷設したため、加古川線の各駅は物流拠点付近に設置されており、集落から離れた場所であることが多い。旅客の流動に合わない路線設定ゆえに旅客需要は伸び悩んでおり、各支線への直通列車も多かったが乗客は少なかった。ただし西脇市については、鍛冶屋線西脇駅が中心市街地至近に立地していたため同駅の利用は多く、加古川線の多くの列車が鍛冶屋線へ直通しており、西脇駅発着で運行されていた。 前述の国鉄の特定地方交通線の廃止・転換の結果、各支線との直通がなくなり、また実質的な本線区間であり需要の大きかった鍛冶屋線野村駅(現在の西脇市駅) - 西脇駅間も失ったことから利用者は減り続けた。民営化後には通勤利用を狙って朝ラッシュ時間帯に加古川行きの快速列車を設定したりとテコ入れがなされたものの充分な効果が得られず、その快速列車も数年で運行が中止されるなど明るい話題に乏しかった(快速列車自体は、国鉄時代にも需要の少ない駅を通過する形態で日中に運行されていた)。さらには大阪・神戸方面への需要に対しては、直通列車がないこともあり西脇市内や滝野・社地区の市街側から発着する高速バス(大阪駅発着の中国ハイウェイバスと三宮駅発着の西脇方面の急行バス)に圧倒されていた。 1995年の阪神・淡路大震災の際には、播但線などとともに寸断された山陽本線の迂回路の役割を果たした。谷川駅の1日の乗り換え客が8,500人に達するほどであったという[36]。しかし単線非電化であったことから迂回路としての機能強化を求める声が起き、2001年10月16日には、加古川線電化を行うことがJR西日本から発表された[37][38]。2004年12月19日には全線が電化され、125系や103系電車が走るようになった。総事業費は約60億円で、うち45億円をJR西日本や兵庫県などの沿線自治体が負担し、残る15億円を沿線地域での募金などにより民間が負担した[39]。 年表播州鉄道・播丹鉄道
国有化後
西日本旅客鉄道
駅一覧
加古川駅と西脇市駅が直営駅、谷川駅がJR西日本交通サービスの業務委託駅であり、それ以外の各駅は無人駅である。 日岡駅 - 神野駅間、厄神駅 - 市場駅間で新駅設置の構想がある[64][65]。 廃駅( )内は加古川駅起点の営業キロ。
過去の接続路線脚注注釈出典
参考文献
関連項目外部リンク
|