備中国分寺
備中国分寺(びっちゅうこくぶんじ)は、岡山県総社市にある真言宗御室派の寺院。山号は日照山。本尊は薬師如来。 奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、備中国国分寺の後継寺院にあたる。本項では現寺院とともに、創建当時の史跡である備中国分寺跡・備中国分尼寺跡(ともに国の史跡)についても解説する。 田園風景の中に建つ五重塔は吉備路のシンボル的な存在で、周辺は吉備路風土記の丘県立自然公園として整備されている[1]。 歴史寺伝では、廃寺となっていた国分寺を天正年間(1573年-1592年)に備中高松城主・清水宗治が再興したが衰微し、江戸時代中期の宝永年間(1704年-1711年)に再建されたとされる。 境内五重塔は、高さ34.315メートル。南北朝時代に奈良時代の七重塔(推定高さ50メートル。塔跡が残る)を焼失したのち、1821年(文政4年)に位置を変えて再建を開始、弘化年間(1844年-1847年)に完成した。江戸時代後期の様式を濃く残す岡山県内唯一の五重塔である。当初は三重塔で計画されたのを五重塔に変更したとされ、3層まではケヤキ材、4・5層まではマツ材が主体である。この塔は国の重要文化財に指定されている。
備中国分寺跡創建当初の国分寺跡は現在の国分寺境内と重複している。寺域は東西160メートル・南北180メートル。出土した土器などから中世初期まで存続したと推定されている。なお国府は賀陽郡であるが、国分寺は窪屋郡に位置している。 伽藍は以下に示すもので、配置は法起寺式と考えられている[2]。一部は現伽藍と重複しており、詳細は明らかでない。
備中国分尼寺跡国分寺の東方に位置する。寺域は東西108メートル・南北216メートル。南北朝時代の戦火で焼失したとされるが、多くの礎石・遺構が残っている。 伽藍は以下に示すもの(南から)で、南北の軸上に配置されている。
文化財重要文化財(国指定)
国の史跡岡山県指定文化財
現地情報所在地
交通アクセス
周辺
脚注参考文献関連項目外部リンク
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