山城国分寺跡山城国分寺跡(やましろこくぶんじあと、山背国分寺跡)は、京都府木津川市加茂町にある古代寺院跡。恭仁宮跡と重複し、合わせて国の史跡に指定されている(指定名称は「恭仁宮跡(山城国分寺跡)」)。 奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、山城国(当時は山背国)国分僧寺の寺院跡にあたる。本項では山城国分尼寺(山背国分尼寺)の推定地についても解説する。 概要京都府南部、木津川北岸の瓶原に位置する。聖武天皇の詔で創建された国分僧寺の遺構に比定され、当地で営まれていた恭仁京の廃都後、宮跡が国分寺に造り替えられて建立された特異な例になる。建立に際しては恭仁宮大極殿(元は平城宮第1次大極殿)が金堂に転用されるとともに、七重塔などの建物が新たに造営された。現在は金堂基壇・塔基壇を遺存する。 寺域は1957年(昭和32年)に国の史跡に指定された[1]。1973年度(昭和43年度)以降に恭仁宮跡とともに発掘調査が実施されている。 歴史創建創建について、文献では天平13年(741年)に国分寺建立の詔が出されたのち、恭仁京廃都後の天平18年(746年)[原 1]に恭仁宮大極殿を国分寺に施入したと見える[2][3][4]。なお、山城国の「山城」の用字は平安京遷都の延暦13年(794年)[原 2]以後のことであり、それ以前となる国分寺建立当時は「山背」の用字であった[5]。 一方、国分寺を天平18年(746年)以前の創建とし、同年に恭仁宮跡地に移転したとする説もある[2][6]。この説では、移転前の地について木津川市加茂町河原とする説や木津川市山城町上狛とする説が挙げられる[2]。特に木津川市加茂町河原の「光明寺塚」と称される土壇では多数の古瓦が見つかったというが、遺構等の詳細は明らかでない[6]。 なお、『続日本紀』天平15年(743年)条[原 3]に見える「大養徳国金光明寺」について、通常は東大寺(奈良県奈良市)を指すと解されるが[7][8]、山背国分寺を指すとして同年までの創建の支証とする説もある[2](「大養徳国」は大和国の当時の表記であるが、恭仁宮も正式名称は「大養徳恭仁大宮」[原 4]であった)。 古代天平19年(747年)[原 5]には、諸国国分僧寺・国分尼寺に90町・40町の田が施入された[3]。また宝亀4年(773年)[原 6]には「山背国国分二寺」に便田各20町が施入されている[2][3]。 承和10年(843年)[原 7]には、弘仁13年(822年)以来に国庁で修されていた山城国の正月吉祥悔過が、旧例に復して国分寺で行われるようになったと見える[3]。 また『興福寺官務牒疏』(嘉吉元年(1441年))によれば、元慶6年(882年)に炎上し、昌泰元年(898年)に再建されたという[2][3]。 延長5年(927年)成立の『延喜式』主税上の規定では、山城国の国分寺料として稲1万5千束があてられている。 中世鎌倉時代には、寛喜3年(1231年)の史料に平等院の末寺である旨が見える一方、正安3年(1301年)の史料には春日社領として見える[3]。 室町時代の変遷は詳らかでないが、衰退が一層進んだとされる[3]。 近代以降近代以降については次の通り。
伽藍僧寺跡の寺域は南北330メートル(3町=1100尺)・東西273メートル(2.5町=910尺)で[4]、築地塀をもって区画する。主要伽藍として、寺域西寄りに金堂・講堂(推定)等が南から一直線に配され、東寄りに塔院が配される国分寺式伽藍配置(東大寺式伽藍配置の略型)と推定される[6][9][4]。遺構の詳細は次の通り。
その他の堂宇は未確認のため詳らかでない[4]。 建物に使用された瓦について、金堂(恭仁宮大極殿)の瓦は恭仁宮造営時の新調である一方、塔・回廊・築地の瓦は平城京の瓦の転用とされる[4]。新調された瓦は推定近江国分寺(紫香楽宮跡内裏野地区)の瓦と同笵であることが判明しているが、技法・胎土は異なることから、瓦笵のみが移されたと推測される[4]。
山城国分尼寺跡尼寺跡の所在は詳らかでない。一説には、僧寺跡とは木津川を挟んだ南岸の木津川市加茂町法花寺野に比定され、現在は石碑が建てられている(北緯34度45分25.13秒 東経135度50分39.65秒 / 北緯34.7569806度 東経135.8443472度)[10][3]。同地は法花寺野集落の西方約200メートルに位置し、1915年(大正4年)の府道工事で多量の古瓦が出土したほか、1927年(昭和2年)の発掘調査では土壁様遺構が検出されている[3]。「法花寺野」の地名が国分尼寺跡と推定される根拠となるが、関連遺構が検出されていないため比定には疑義もあり[3]、同地を甕原離宮に比定する説もある[10]。 文化財国の史跡
現地情報所在地 交通アクセス 関連施設
周辺
脚注原典 出典
参考文献(記事執筆に使用した文献)
関連文献(記事執筆に使用していない関連文献)
関連項目外部リンク
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