佐々木 勝(ささき まさる、1939年2月7日 - )は、日本のプロゴルファー。
来歴
1970年の関東プロでは今井昌雪・三浦勝利・河野高明と共に石井冨士夫の2位タイ[1]に入り、1972年には東北地方初の男子プロトーナメント「七夕杯・東北クラシック」[2]で初日を青木功・今井・松井功と並んでの6位タイ[3]でスタートした。
1973年の関東オープンでは初日を菊地勝司の2位[4]でスタートし、2日目には尾崎将司・草柳良夫・田中文雄と並んでの2位タイ[5]に着けた。
1972年のブリヂストントーナメントでは2日目に69をマークして2位タイ[6]、3日目には郭吉雄(中華民国)と並んでの4位タイ[7]とし、最終日にはヒューバート・グリーン(アメリカ)と並んでの7位タイ[8]に入った。続くダンロップフェニックストーナメントの前身に当たる第1回「フェニックストーナメント」[9]では初日を島田幸作・鈴村照男・草壁政治と並んでの3位タイ[10]でスタートし、2日目には増田光彦・草柳・能田征二と並んでの6位タイ[11]に着けた。
1975年、初めて海外で開催された日本のトーナメント「クイリマ&タカヤマ・クラシック」[12]に出場し、初日を鈴村照・鷹巣南雄・今井と並んでの5位タイ、西田升平とペアを組んだダブルスでは吉川一雄&鈴木規夫ペア、今井&内田繁ペアと並んでの3位タイ[13]でスタート。2日目には朝から15m前後の強風が海側から吹き荒れ、時折、南国特有の豪雨も混じる最悪のコンディションの中、今井と並んでの4位タイ[14]、ダブルスでは2位[14]に着けた。3日目には鈴村照と共に通算5アンダーの2位タイ、ダブルスでも村上隆&河野高ペアと並んでの2位タイ[15]に着けた。
シニア転向後の1989年には鳳凰カップで6位タイ[16]に入った。
脚注
- ^ “男子トーナメント年度別一覧表(1926年~1972年)”. www.golfdendou.jp. 2024年7月1日閲覧。
- ^ “NSCC 西仙台カントリークラブ クラブ沿革”. www.nishisendai.jp. 2024年11月12日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p114 昭和47年8月4日朝刊16面「陳健忠がリード 東北クラシックゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p236 昭和48年9月7日朝刊18面「無名の菊地がトップ パットさえ、5アンダー 関東オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p273 昭和48年9月8日朝刊19面「陳清波、首位奪う 尾崎ら4人2位に 関東オープンゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p115 昭和47年11月4日朝刊19面「アリン(米)が単独トップに ブリヂストン・ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p151 昭和47年11月5日朝刊19面「郭、謝、アリントップに並ぶ ブリヂストン・ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p183 昭和47年11月6日朝刊19面「謝敏、12アンダーで優勝 ブリヂストン・ゴルフ 最終日」
- ^ 毎日放送40年史編纂室(編集)『毎日放送の40年』毎日放送、1991年、258頁。
- ^ 朝日新聞縮刷版p816 昭和47年11月24日朝刊16面「橘田、まずリード 尾崎は51位とさんざん フェニックスゴルフ第1日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p855 昭和47年11月25日朝刊19面「橘田と島田並ぶ 安田追込み 4位に浮上 フェニックスゴルフ第2日」
- ^ 佐藤朗「着陸の日まで ―尾崎将司とその時代」幻冬舎、2019年7月25日、ISBN 4344923766、p138。
- ^ 毎日新聞縮刷版p601 昭和50年1月25日朝刊15面
- ^ a b 朝日新聞縮刷版p709 昭和50年1月26日朝刊15面「鷹巣がリード クイリマ・ゴルフ第2日」
- ^ 毎日新聞縮刷版p648 昭和50年1月27日朝刊14面「村上、トップに立つ クイリマゴルフ第3日」
- ^ “各日最終成績 競技情報|第3回鳳凰カップゴルフトーナメント|競技|公益社団法人 日本プロゴルフ協会”. pga.or.jp. 2024年12月19日閲覧。
外部リンク