仙台セントラルホール
仙台セントラルホール(せんだいセントラルホール)は、かつて宮城県仙台市青葉区中央2丁目にあった映画館。ライブや寄席などの会場としても使用されていた。 運営公式サイトの副題に「杜の都・仙台の街なか映画館」とある[3] ように、仙台市都心部の中央通りクリスロードと東三番丁との角地に建つ「桜井薬局ビル」の3階にあった。定員154人。 当初は封切館であったが、後半はミニシアター向きの作品を多く上映していた[4]。不定期に俳優などを招いての舞台挨拶や、「魅知国(みちのく)仙台寄席」と称する落語会、お笑い集団ティーライズによるお笑いライブ、音楽ライブなどの各種イベントも行っていた[4][5]。閉館した2018年時点では、仙台唯一の地元資本の映画館であった[4]。 沿革1979年(昭和54年)に新築されたビル内に同年12月15日[1](土)、日乃出興業株式会社が運営する「日乃出セントラル劇場」として開館した[4]。同社は、市内中央1丁目に日乃出興業ビル(通称「日乃出会館」。現・GSビル)を所有する不動産会社であり、日乃出会館内に映画館4館(後に三和興行へ移管)を運営していた。同社の「日乃出」と付く映画館は合計4館[6] となったため、当館は「セントラル劇場」「セントラル」などと省略されて呼ばれた。 ユナイテッド・インターナショナル・ピクチャーズ (UIP) 専門の封切館として経営を成り立たせた[1]。当館最大のヒットは『シンドラーのリスト』(1994年)で、同年の来館者は10万人を超えた[1][4]。 2002年(平成14年)6月8日をもって休館した(休館時の最終上映作は『アザーズ』)。これは、シネマコンプレックスの進出で来館者が減少し、日乃出興業ビルからの三和興行の撤退も本体の経営に影響を与えたためとされる。 同年7月6日、仙台教映社に経営が譲られ「仙台セントラル劇場」として再開館した。その後、新たに設立された合同会社仙台セントラル劇場に経営権が移った。 2007年(平成19年)8月、ビルを所有している桜井薬局との命名権契約により「桜井薬局セントラルホール」へと改称した。同年12月末を以ってユナイテッド・インターナショナル・ピクチャーズ・ファー・イースト(UIP日本支社)が解散したのを機に、ミニシアター(単館)系に上映形態を変えた。 2010年(平成22年)6月より、落語芸術協会主催の「魅知国(みちのく)仙台寄席」が月1回のペースで開催されるようになった[7][8]。 2011年(平成23年)2月3日、平成22年度地域商業活性化事業(集客力向上促進事業・商店街における新事業展開支援事業)に、合同会社セントラル劇場が応募していた「映画館のデジタル化、商店街集客イベントの実施」が採択され、中小企業経営支援等対策費補助金(交付額:782万1800円)の交付が決定した[9][10]。 同年3月11日、上映中に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生した。観客は避難して全員無事であり、映写機も無事だったが、ビルが被災したため休館した[11]。4月29日、上映を再開した[11]。 2016年(平成28年)8月18日、合同会社仙台セントラル劇場が、平成27年度宮城県芸術選奨新人賞のメディア芸術部門を受賞した[12]。 2017年(平成29年)9月2日、「仙台大道芸 第2回 まちくるカーニバル 2017」(9月2日-3日)において、当館にて大道芸の「まちくるパフォーマンス劇場」が開催された[13]。 2018年(平成30年)2月1日、命名権契約満了により、「仙台セントラルホール」に改称された[3]。4月1日から魅知国仙台寄席は一番町にある落語芸術協会仙台事務所長が所有するビルの2階に定席として移転。6月12日、同月末で閉館予定であると報道され[4]、6月30日をもって閉館した。最終日に上映された作品は『文学賞殺人事件 大いなる助走』と『弥太郎笠』であった[14]。最終年にあたる2017年の来館者は、年間1万人ほどであった[4]。 2019年(平成31年)4月1日、仙台市のエドワード・エンターテインメント・グループの関連会社である身の丈イノベーションが154席の小劇場「誰も知らない劇場」として再スタートすることになった[15]。 近年の主な上映作品
脚注
関連項目
外部リンク
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