今羽町
今羽町(こんばちょう)は、埼玉県さいたま市北区の町丁。現行行政地名は今羽町のみで、丁目の設定はない。住居表示未実施地区[4]。郵便番号は331-0801[2]。本項では、今羽町の前身である大字今羽(こんば)と、その前身である今羽村(こんばむら)についても述べる。 地理さいたま市北区北東部の大宮台地上に位置する[5]。東側で上尾市原市や東大宮に、南側で本郷町に、西側から北側にかけて吉野町に隣接する。芝川に並行する市道を境に東側は市街化調整区域、西側は市街化区域に指定されている[6]。近隣にニューシャトルの駅が設置されているものの、開発はあまり進んでおらず、生産緑地地区[6]としての農地が目立つ。東側および南側に見られる芝川都市下水路[6]周辺の沖積平野はかつての見沼の北端にあたり、隣接する原市地区同様に荒れ地が残る。湿地帯を埋め立てさいたま市立泰平小学校、さいたま市立泰平中学校などの学校用地に使われている場所もある。都市計画道路宮原駅前通線が宮原駅東交差点から今羽町団地の西を通り、県営砂団地の北側を経て第二産業道路へつながるよう計画されていたが、2013年3月1日に廃止された[7]。 古戦場跡である吉野原合戦(舟橋合戦)の跡が北東端の舟橋周辺に所在する[5]。 地価住宅地の地価は、2015年(平成27年)1月1日の公示地価によれば、今羽町250番10の地点で9万8000円/m2となっている[8]。 歴史もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡吉野領に属する今羽村であった[5]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では197石余(田113石余、畑84石余)、『元禄郷帳』では211石余、『天保郷帳』では212石余であった[5]。助郷は中山道大宮宿に出役していた[5]。化政期の戸数は24軒で、村の規模は東西14町、南北18町余であった[5][9]。周辺の村々からの悪水が集まりやすく大水や旱魃の両方に見舞われやすい場所であった。甘藷や紅花の栽培が盛んで甘藷は鴻巣宿、紅花は桶川宿へ出荷していた[5]。
今羽村に存在していた小字
世帯数と人口2017年(平成29年)9月1日時点の世帯数と人口は、以下のとおりである[1]。
小・中学校の学区市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下のとおりとなる[18]。
交通鉄道西部を東北新幹線・上越新幹線・埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)が通り、埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)の今羽駅・吉野原駅のホームがある(駅の所在地はいずれも吉野町一丁目)。最寄り駅は地点によって異なり、今羽駅または吉野原駅である。 道路
施設町域の北部は吉野原工業団地に掛かる。
脚注注釈出典
参考文献
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