| この記事は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。 ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。免責事項もお読みください。 |
主文(しゅぶん)は、裁判の中で、結論を記載した部分をいう。
主文と内容
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主文
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無罪判決 |
被告人は無罪。
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有罪判決 |
被告人を○○に処する。(この裁判が確定した日から○年間その刑の執行を猶予する。)
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原告敗訴判決 |
原告の請求を棄却する。
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原告勝訴判決 |
被告は原告に対し、○○を支払え(引き渡せ etc)。
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上訴審の棄却判決 |
本件控訴(上告)を棄却する。
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上訴審の破棄判決 |
原判決を破棄する。(原判決を次の通り変更する etc)。
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民事訴訟
民事訴訟の終局判決においては、主文で訴えの却下、請求棄却あるいは請求認容が明らかにされなければならない。さらに、訴訟費用の負担(民事訴訟法67条)、控訴権濫用に対する制裁(民事訴訟法303条2項、及び仮執行宣言(民事訴訟法259条)に関する事項も主文に記載される。
既判力があるのは、主文の部分とされる(民事訴訟法114条1項)が、主文の解釈に必要である場合は、理由の参照が許され得る。既判力類似の効力を、主文を超えて理由にまで拡張しようとする争点効という理論があるが、判例では認められていない(最高裁判決昭和44年6月24日判例時報569号48頁)。
刑事訴訟
刑事訴訟の終局判決においては、主文で刑の言渡し、無罪、刑の免除、免訴、公訴棄却あるいは管轄違いが明らかにされなければならない。さらに、刑の執行猶予、保護観察、没収、押収物還付、罰金等の仮納付、訴訟費用の負担などが必要な場合には主文に記載される。
刑事訴訟における既判力は、認定された犯罪事実又は審判の対象となった犯罪事実と公訴事実において同一と考えられる範囲に及ぶのであって、主文のみで決することはできない。
裁判官が刑事事件の判決を朗読する際、通常は主文を先に言い渡し、続いて判決理由を読み上げる[1]。一方で死刑判決の場合は判決理由を先に言い渡し主文を後回しにすることが多く、一般的には主文後回しといわれている[2]。これは、死刑判決において冒頭で主文を言い渡すと、被告人が動揺してその後の判決理由を聞かなくなるため、判決理由を被告人によく聞かせるためとされている[3][4]。このような慣例は遅くとも1965年(昭和40年)ごろには存在していたとされる[5]。このため、判決公判の冒頭に主文朗読がなされずにまず判決理由の説明が行われることは、裁判の当事者や報道機関などが「死刑の可能性が非常に高い」と判断する材料ともなっている。
ただし、刑事訴訟法上は判決の主文と判決理由を読み上げる順番については明確な規定があるわけではない[3]。そのため、裁判官によっては、死刑判決でも冒頭で主文を言い渡したり、逆に死刑以外の判決で主文を後回しにしたりする例も存在する[6]。
また、2009年5月、音楽プロデューサー小室哲哉の著作権譲渡に関する詐欺事件において、極めて異例ともいえる主文後回しによる判決理由の説明が行われた。同月21日から始まる予定の裁判員制度の評議では、まず、有罪か無罪かの判断をした上で量刑を決めることになっており、裁判員制度を意識したものとみられている[7]。ただし、この著作権譲渡に関する詐欺事件を担当した杉田宗久元判事は執行猶予でも主文後回しにすることが多い[8]。
死刑判決の冒頭主文朗読の例
以下、第一審で死刑判決が言い渡されたか、控訴審で死刑以外(無期懲役など)の原判決を破棄自判して死刑が言い渡された事例を列挙する。控訴審で死刑の原判決を支持し、被告人の控訴を棄却する判決が言い渡された事例では、主文が冒頭で言い渡された事例(北海道庁爆破事件[9]、富山・長野連続女性誘拐殺人事件[10]、大牟田4人殺害事件[注 1][11]など)と、後回しにされた事例(北九州市病院長殺害事件[12]・市川一家4人殺害事件[13]・石巻3人殺傷事件[14]など)の双方が存在する。
無期刑以下の刑の判決の主文後回しの例
共犯者との同時審理で共犯者が死刑判決を言い渡された事例は含まない。
- 求刑死刑
- 求刑無期刑
- 求刑有期刑
無罪判決の主文後回しの例
脚注
注釈
- ^ 大牟田4人殺害事件の控訴審判決 - 2007年(平成19年)12月25日、福岡高裁(正木勝彦裁判長)は、加害者一家4人(いずれも2011年に死刑確定)のうち、母親と次男に言い渡されていた原判決(第一審・福岡地裁久留米支部の判決)を支持し、両被告人からなされていた控訴をいずれも棄却する判決を言い渡した[11]。被告人の1人である次男は判決後、退廷間際に「メリークリスマス!」と絶叫した[11]。
- ^ 被告人(農業:北津軽郡中里町在住、判決時点で29歳)は、農機具買い入れや賭博などで約135万円の借金を抱えたことから、1960年(昭和35年)12月8日、北津軽郡武田村の農協事務室へ強盗に押し入ったが、金庫をこじ開けられず、宿直員を殺してから開けようとして、寝ていた会計係の男性(当時29歳)をハンマーで撲殺し、隣で寝ていた販売員の男性(同26歳)も包丁で刺して重傷を負わせたものの、金品は得られなかった[15]。強盗殺人および同未遂事件で、判決文は『刑事裁判資料』第193号681頁に収録されている。なお、この死刑判決は青森地裁弘前支部が初めて、求刑通り死刑を言い渡した事例であるが[17]、被告人は1965年(昭和40年)1月19日に仙台高裁秋田支部で無期懲役(原判決を破棄自判)の判決を受け、確定している。
- ^ 1964年2月27日、千葉県船橋市高根町の民家で高齢夫婦(夫66歳・妻59歳)が男3人組(うち1人は被害者夫婦の縁戚)にタオルで絞殺された事件[18]。千葉地裁で3人に死刑判決が言い渡された事例はこれが初めてである[19]。
- ^ 裁判部および裁判長名の出典[21]。冒頭で主文が宣告されたことの出典[20]。
- ^ 木村は死刑確定後の1995年、インパクト出版会から著書『本当の自分を生きたい。死刑囚・木村修治の手記』を出版している[25]。
- ^ 1987年(昭和62年)1月4日に新潟県新潟市上木戸(現:新潟市東区上木戸)で元愛人一家6人を襲って2人(元愛人の女性とその義母)を刺殺し、元愛人の子供3人にも怪我を負わせた[32]。新潟地裁で言い渡された死刑判決は、1966年に言い渡された新潟デザイナー誘拐殺人事件の第一審判決以来22年ぶりだったが[33]、東京高裁(近藤和義裁判長)は1991年(平成3年)10月22日に原判決(第一審の死刑判決)を破棄して無期懲役判決を言い渡した[34]。その後も量刑不当を理由に最高裁へ上告したが、1993年(平成5年)3月31日までに最高裁第三小法廷(園部逸夫裁判長)から上告を棄却する決定を受け、無期懲役が確定した[35]。
- ^ 廣田は第一審で死刑判決を受けた後、実名で『噂の眞相』に「毎日を先陣としたマスコミ報道陣は「赤報隊」に射殺されよ!」と題した手記を寄稿している[37]。
- ^ 裁判長を務めた上田は同日時点で既に定年退官していたため、中西武夫裁判官が代読した。
- ^ 1992年(平成4年)7月10日に岡山県赤磐郡山陽町桜が丘西六丁目で会社社長の男が拳銃を乱射し、4人が死傷(3人が死亡)した[46]。刑事裁判では被告人の責任能力が争点となり、第一審で2回、控訴審(広島高裁岡山支部)で1回の計3回にわたり被告人の精神鑑定が実施された[47]。結局、第一審の審理は、初公判(1992年10月10日)から[48]、結審まで41回(6年4か月)を要する長期裁判となったが[49]、岡山地裁は「心神耗弱に近い状態」(保崎秀夫慶應義塾大学名誉教授)と「意識障害があったとは認められない」(斉藤正彦東京大学講師)との2回の精神鑑定結果を踏まえ、斉藤鑑定を採用して「心神喪失や心神耗弱状態にはなかった」と判断した上で、被告人の無反省な態度や、被害者感情などから死刑を選択した[50]。しかし、被告人は控訴中の2002年(平成14年)2月18日に死亡したため[51]、本事件は同高裁支部(片岡安夫裁判長)により公訴棄却の決定が出された[52]。なお第一審判決は当時、岡山地裁管内では37年ぶりとなる死刑判決だった[50]。
- ^ 2009年(平成21年)5月30日に[62]自宅アパート(神奈川県川崎市幸区中幸町一丁目)[63]の隣室などで、男性(当時71歳)を刺殺したほか、物音で駆けつけた男性の妻(当時68歳)と大家(男性の兄・当時73歳)を殺害した[62]。判決後(2011年6月29日)に弁護団が東京高裁へ控訴したが[64]、同年7月4日に被告人が自ら控訴を取り下げ、死刑が確定(裁判員裁判では2件目の死刑確定事件)[65]。2015年12月18日に東京拘置所で死刑執行(法務大臣:岩城光英 / 裁判員裁判で死刑を言い渡され、刑が確定した死刑囚の刑執行は初)[66]。
- ^ 同事件は控訴審・東京高裁第6刑事部(大熊一之裁判長)で[71]2019年12月5日に「犯行時、被告人は心神耗弱状態だった」として原判決破棄・無期懲役の判決が言い渡され[72]、東京高検は上告を断念[73]。2020年9月9日付で最高裁第一小法廷(山口厚裁判長)が被告人の上告を棄却する決定を出し[74]、無期懲役が確定[75]。
- ^ 被害者のうち1人は殺人罪を適用。
- ^ 家令和典裁判官の担当部は、横浜地裁第1刑事部(合議係)である(2021年9月時点)[103]。
- ^ 金沢地裁は「本来死刑を選択すべき事案であるが、被告人は犯行時17歳の少年であったため、18歳未満への死刑適用を禁じ、代わりに無期懲役を課することを義務付ける少年法第51条1項が適用される」としている[111]。
出典
参考文献
関連項目