下條村(しもじょうむら)は、長野県の最南端である下伊那郡のほぼ中央に位置する村。
地理
東は天竜川を隔てて泰阜村と、北は阿知川や鶯巣川を隔てて飯田市・阿智村と、西は下條山脈により阿智村と、南は阿南町と接している。村名は、室町時代のはじめ甲斐の国からこの地に入り、室町中期から戦国期に全盛を極めた下條氏に由来する。
主な政策
少子化対策にいち早く取り組み、成果を出している自治体として知られている。1997年度から「子供がいる、結婚の予定がある」「村行事、消防団への参加」などの入居条件を課した、低家賃の村営「若者定住促進住宅」を整備した。その結果、出生率が全国平均を上回っており、2004年度の出生率は2.59%[1]。2014年度の出生率は2.03%。
2012年度からは戸建ての建設費の10%を補助する事業も開始している。また高校生以下の医療費を無料としている。
人口
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下條村と全国の年齢別人口分布(2005年)
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下條村の年齢・男女別人口分布(2005年)
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■紫色 ― 下條村 ■緑色 ― 日本全国
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■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
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下條村(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
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4,057人
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1975年(昭和50年)
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4,000人
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1980年(昭和55年)
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4,078人
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1985年(昭和60年)
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4,049人
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1990年(平成2年)
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3,859人
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1995年(平成7年)
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4,004人
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2000年(平成12年)
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4,075人
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2005年(平成17年)
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4,210人
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2010年(平成22年)
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4,200人
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2015年(平成27年)
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3,851人
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2020年(令和2年)
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3,545人
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総務省統計局 国勢調査より
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人口減少に危機感を感じた伊藤喜平が1992年に村長に就任し、各種行財政改革の後、上記の施策を実施。結果人口は4000人台を回復、「奇跡の村」「地方創生の成功例」などと各種メディアで紹介されるようになる。2015年の国勢調査結果では、人口は再び4000人を大きく割り込んだ。
歴史
- 1875年(明治8年)1月23日
- 筑摩県伊那郡小松原村、大久保村、粒良脇村、阿知原村、親田村及び山田河内村が合併して、睦沢村(むつざわむら)が発足する。
- 筑摩県伊那郡吉岡村、菅野村、仁王関村、合原村、北又村、入野村、鎮西野村及び下新井村が合併して、陽皐村(ひさわむら)が発足する。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 睦沢村及び陽皐村が長野県の所属となる。
- 1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法の施行により、睦沢村及び陽皐村が下伊那郡の所属となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、睦沢村及び陽皐村の区域をもって、下條村が発足する。
行政
村長
公的機関
公民館・会議室などと合築された多目的施設「あしたむらんど下条」内に1995年に開館。
警察機関は阿南警察署が、消防業務は飯田広域消防本部が担っている。
立法
村議会
- 定数 10名
- 任期 2019年4月29日~2023年4月29日
- 定数 2名(下伊那郡選挙区)
- 任期 2019年4月30日~2023年4月29日
国会議員
交通機関
鉄道
村内に鉄道路線は無いが、天竜川の向かいの東岸を飯田線が走っている。村役場からの最寄駅は、隣接する泰阜村にある唐笠駅。
バス
道路
- なお、飯田市の中心まで車で30分ほどで、通勤圏内である。
教育
- 下條村立下條中学校
- 下條村立下條小学校
- 下條保育所
産業・経済
上記の村営住宅入居者をはじめ、飯田市在勤者が多く、同市への通勤率は35.07%(2015年国勢調査)。主要産業は農業で、ソバ、ナシ、リンゴ、干柿など。また、親田地区で栽培される「親田辛味大根」は、一般の青首大根に比べ辛味成分イソチオシアネートを4倍近く含む激辛大根であり、おろし蕎麦用の高級薬味として重宝されている。
主要企業
金融機関
日本郵政グループ
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
観光スポット
温泉
- 下條温泉郷 コスモスの湯
- くつろぎの宿 佳が美
- 浪漫の館 月下美人
寺院
下條村出身の有名人
脚注
注釈
出典
関連項目
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外部リンク