ラファエル・モンテロ
ラファエル・モンテロ・ケサダ(Rafael Montero Quezada, 1990年10月17日 - )は、ドミニカ共和国エリアス・ピーニャ州バニカ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのアトランタ・ブレーブス所属。愛称はフガッラ(Fugarra)[1]。 経歴プロ入りとメッツ時代2011年1月20日にアマチュア・フリーエージェントでニューヨーク・メッツと契約を結んだ[2]。この年傘下のルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・メッツ1でプロデビュー。4試合に先発登板して1勝1敗、防御率1.00、20奪三振を記録した。6月20日にルーキー級ガルフ・コーストリーグ・メッツへ異動した。4試合に先発登板して2勝1敗、防御率4.24、9奪三振を記録した。8月6日にアパラチアンリーグのルーキー級キングスポート・メッツへ異動した。7試合(先発4試合)に登板して1勝2敗1セーブ、防御率1.45、32奪三振を記録した。8月31日にA-級ブルックリン・サイクロンズへ昇格した。2試合に登板して1勝0敗、防御率3.60、5奪三振を記録した。 2012年はA級サバンナ・サンドナッツで12試合に先発登板して6勝3敗、防御率2.52、54奪三振を記録した。6月21日にA+級セントルーシー・メッツへ昇格した。8試合に先発登板し、5勝2敗、防御率2.13、56奪三振を記録した。 2013年に『ベースボール・アメリカ』の有望株ランキングではチーム内で5位にランクされた[3]。このシーズンはAA級ビンガムトン・メッツでプレーし[4][5]、11試合に登板。7勝3敗、防御率2.43と好投し、6月にAAA級ラスベガス・フィフティワンズに昇格した[6]。AAA級ラスベガスでは16試合に先発登板して5勝4敗、防御率3.05、78奪三振を記録した。 2014年はAAA級ラスベガスで開幕を迎え、8試合に登板。5月14日にメッツとメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[7]。同日のニューヨーク・ヤンキース戦で先発起用されメジャーデビュー。6回を投げ、ヤンガービス・ソラーテとマーク・テシェイラに本塁打を打たれるも、5安打3失点に抑えたが、相手先発の田中将大に打線は完封され、メジャー初黒星を喫した[8]。この年は先発で8試合、リリーフで2試合に登板し、計44.1イニングを投げた[9]。防御率は4.06だったが、勝ち運に恵まれずに1勝3敗と負け越した[9]。 2015年は出番が減少し、5試合に投げた(うち1試合が先発登板)だけだった[9]。防御率は4.50まで上昇したが、10.0イニングで13の三振を奪い、奪三振率11.7という優秀な数値を記録した[9]。 2016年は9試合に登板、うち3試合で先発登板したが、防御率8.05・WHIP2.05とキャリアワーストの炎上だった[9]。ただ、その中でも9.0超の奪三振率を記録し、三振を奪える力は持っている事を垣間見せた[9]。マイナーでは、AA級ビンガムトンとAAA級ラスベガスの2チームで、計25試合に先発登板。8勝9敗、防御率5.30、WHIP1.59というイマイチの成績だった。 2017年は34試合(先発18試合)に登板して5勝11敗、防御率5.52、114奪三振を記録した[9]。 2018年は開幕前の3月にトミー・ジョン手術を受けたため[10]、シーズンを全休した。オフの11月2日にFAとなった[9]。 レンジャーズ時代2019年1月4日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[11]。シーズンでは開幕を傘下のAAA級ナッシュビル・サウンズで迎え、7月22日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[12]。 マリナーズ時代2020年12月15日にホセ・クーニエル及び後日発表選手[注 1]とのトレードで、シアトル・マリナーズへ移籍した[14]。 2021年は序盤は抑えを務めたが、不安定な投球が続き、40試合で防御率7.27という酷い成績に終わった。7月23日にDFAとなった[15]。 アストロズ時代2021年7月27日にエイブラハム・トロ、ジョー・スミスとのトレードで、ケンドール・グレーブマンと共にヒューストン・アストロズへ移籍した[16]。 2022年は開幕からブルペンの柱として活躍すると、ライアン・プレスリーの離脱時には抑えを務め、防御率2.37、14セーブを記録した。ワールドシリーズでは、11月2日の第5戦に3番手として8回に登板し、1.0イニングを無安打無失点に抑えて勝利し、チームの継投でのノーヒットノーランに貢献した。[17] 2022年オフの11月6日にFAとなった[18]。 2022年11月13日にアストロズと3年総額3450万ドルで再契約した[19]。 2023年は68試合に登板して3勝3敗1セーブ10ホールド、防御率5.08を記録した[9]。また、79個の三振を奪った[9]。ポストシーズンではミネソタ・ツインズとの地区シリーズに2試合登板して2.2イニングを投げて5奪三振無失点という内容で、チームの地区シリーズ突破に貢献した[9]。続くリーグ優勝決定シリーズでも2試合に登板[9]。第6戦ではブライアン・アブレイユの後を受けて5番手で登板したものの、許した安打はわずか1安打ながら0.0と1イニングを完了することが出来ず、3失点(自責2)と炎上した[20]。チームもこの年世界一となるテキサス・レンジャーズに3勝4敗で敗れた[9]。 2024年の登板数は41試合と前年より27試合減少し、1勝2敗と負け越した[9]。また、前年と同じ10ホールドを記録したが、奪った三振は23個に留まった[9]。 2025年は開幕前のスプリングトレーニングに招待選手として参加した[9]。3月27日にクーパー・ハメルと入れ替わる形でスティーブン・オカートらと共に開幕ロースター入りを果たした[9][21]。アストロズでは、4月6日までに3試合登板した[9]。 ブレーブス時代2025年4月8日に金銭及び後日発表選手とのトレードで、アトランタ・ブレーブスに移籍した[22]。 詳細情報年度別投手成績
ポストシーズン投手成績
WBCでの投手成績
年度別守備成績
背番号
代表歴脚注注釈出典
関連項目外部リンク
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