モンダリス=バルネアリオ
モンダリス=バルネアリオ(Mondariz - Balneario)は、スペイン、ガリシア州、ポンテベドラ県の自治体で、コマルカ・ド・コンダードに属する。ガリシア統計局によると、2012年の人口は690人(2009年:726人)[1]。住民呼称は、男女同形のmondaricense。 ガリシア語話者の自治体人口に占める割合は91.33%(2001年)。 地理モンダリス=バルネアリオは、ポンテベドラ県の南部、コマルカ・ド・コンダードに属する。モンダリス=バルネアリオは底辺を上にした三角形のような形をしており、北から南東、つまり、底辺と右辺はモンダリスと、残りの西南側、つまり左辺はポンテアレーアスの各自治体と隣接している[3]。 モンダリス=バルネアリオはポンテアレーアス司法管轄区に属す[4]。 人口
歴史自治体内のコト・デ・シビダーデ地区でカストロ文化時代の定住跡が発見されている。また、ローマ時代のものとしてはローマ街道の遺構がテア川に残されている。 モンダリス=バルネアリオはソブローソ城(Castelo de Sobroso)に程近く、ガンダラの泉によって、貴族が訪れることもしばしばであった。地元の言い伝えによると、1282年サン・ペドロ礼拝堂において、ポルトガル国王ドン・ディニスとイサベル・デ・アラゴンが結婚したという。 旧体制の下では、この地域はガリシア王国を構成した7つの県のひとつのトゥイ県に属していた。1833年11月30日の改革で、ソブローソ司法管轄区はポンテベドラ県に移管されることとなった。このときは、現自治体のモンダリス=バルネアリオの領域は、モンダリスの一教区に属する地区にすぎなかったが、1904年その領域にトロンコーソ教区が設けられた。 20世紀初頭、企業家エンリケ・ペイナドールが、ガンダラの泉を修復再建し、保養施設を建造した。この施設は、たちまち資産家階級たちの集う逗留施設となった。 1924年11月30日、ノサ・セニョーラ・デ・ルルデス(ルルドの聖母マリア)をいただいた教区は、自治体として独立、自治体名には薬効のある水による保養所の意で、バルネアリオが付け加えられた。1925年4月17日には国王アルフォンソ13世によって、"Muy Hospitalaria Villa"(「非常に居心地のいい村」の意)の称号が授けられた。 政治自治体首長はガリシア国民党(PPdeG)のホセ・アントーニオ・ロレンソ・ロドリゲス(José Antonio Lorenzo Rodríguez)。自治体評議員はガリシア国民党:5、ガリシア民族主義ブロック(BNG):2となっている(2011年5月22日の自治体選挙結果、得票順)[7]。
教区モンダリス=バルネアリオは1つの教区で構成されている。
ギャラリー
参考文献・脚注
外部リンク
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