カルダス・デ・レイス
カルダス・デ・レイス(Caldas de Reis)は、スペイン、ガリシア州、ポンテベドラ県の自治体、コマルカ・デ・カルダスに属する。ガリシア統計局によると、2012年の人口は10,008人(2011年:10,060人、2010年:10,045人、2009年:10,036人、2004年:9,522人)[1]。住民呼称は、男女同形のcaldense。カスティーリャ語表記はCaldas de Reyes(カルダス・デ・レージェス)。 ガリシア語話者の自治体住民に占める割合は94.61%(2001年)。 地理カルダス・デ・レイスはポンテベドラ県の北部に位置し、コマルカ・デ・カルダスに属する。北がバルガと、東がクンティスとモラーニャ、南がポルタスとビラノーバ・デ・アロウサ、西がビラガルシーア・デ・アロウサ、西から北がカトイラの各自治体と隣接している[3]。 県都ポンテベドラからは21kmの距離にある。また、カルダス・デ・レイスは人口が密集しており、伝統的にコマルカの中心のひとつであったが、近年はその影響がポンテセスーレス、クンティスやカンポ・ラメイロにまで広がっている。 カルダス・デ・レイスはカルダス・デ・レイス司法管轄区に属し、同管轄区の中心自治体である[4]。 人口
歴史ローマ人はこの地に温泉を発見し、定住した。また、ローマ時代のローマ街道地図(Itinerario de Antonino)にはブラカラ・アウグスタ(現ブラガ)とアストゥリカ・アウグスタ(現アストルガ)を結ぶローマ街道19号線の個所にこの地の地名が記されている。 カルダスには司教座が、569年にイリア(現パドロン)に移転するまで、置かれていた。 カルダスはカスティーリャ女王ウラカとガリシア伯ライムンド・デ・ボルゴーニャの息子でガリシア王で後に、レオンとカスティーリャの王位もいただくアルフォンソ7世によって王たちのを意味する"デ・レイス"が付け加えられ、カルダス・デ・レイスと命名された。 史跡自治体内にはカストロや、パソと呼ばれるガリシア伝統の御屋敷がいくつも残されている。 自治体の中心市街地にあるベルマーニャの橋(Ponte de Bermaña)は創建がローマ時代にさかのぼり、16世紀に修復されたものである。 政治自治体首長はガリシア社会党(PSdeG-PSOE)のフアン・マヌエル・レイ・レイ(Juan Manuel Rey Rey)[7]、自治体評議員はガリシア社会党:8、ガリシア国民党(PPdeG):7、ICdR[8]:1、ガリシア民族主義ブロック(BNG):1となっている(2011年5月22日の自治体選挙結果、得票順)[9]。
教区カルダス・デ・レイスは9の教区に分けられる。
参考文献・脚注
外部リンク |