ベガルタ仙台 (企業)
株式会社ベガルタ仙台(ベガルタせんだい)は、宮城県仙台市青葉区に本社を置く、サッカークラブの運営などを行う企業である。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するベガルタ仙台の運営、サッカー施設の運営などを手掛ける。 概要東北地区初のJリーグ加盟クラブを目指して、「株式会社東北ハンドレッド」として設立された。「ハンドレッド」は「(母体が大きな企業でなくても)100の会社で集まればいいだろう」という意味合いが込められていたという[4]。 チーム発足時の協議会組織「東北にJリーグチームを設立する懇談会」の事務局長を務め、後に宮城県サッカー協会副会長も務めた伊藤孝夫が2003年の講演で述べたところ[4]によると、1991年(平成3年)以降、Jリーグ加盟を予定していた東日本JR古河(後のジェフユナイテッド市原)が仙台市をホームタウンとすべく[注釈 1]、仙台市に1万5000人収容のスタジアム建設を要望。Jリーグ発足時には叶わなかったものの、1993年に仙台スタジアムとして建設が決定すると、仙台市をホームタウンとするJリーグ参入を目指すクラブの設立に動き出し、「東北にJリーグチームを設立する懇談会」が設置され(設立時の社名に「東北」が入っていたのはこのため)、事務局メンバーとして宮城県・仙台市・塩竈市・河北新報社・東北放送・宮城テレビ放送・カメイから出向社員が加わった。 母体となるクラブには大企業の支援を念頭に置くことになり、最初は東芝サッカー部を想定し、東北電力を通じて東芝にアプローチをかけてそれなりにいい感触を得たが、同時期に福島県からも東京電力を通じてアプローチがかかっており、同時に依頼を受けられないと東芝に断られてしまう[4][注釈 2]。次にソニー仙台FCを念頭にソニーに声をかけるが、プロ化を目指さない方針を理由に断られ、カメイを通じて麒麟麦酒に声をかけるも特定のクラブを支援しない方針を理由に同じく断られ、最終的に東北電力のサッカー部を母体とし、東北リーグ所属の東北電力・仙台中田クラブ・松島サッカークラブからメンバーを集める方針に決まった[4]。設立にあたっては資金集めに苦慮し、宮城県と河北新報社が口説いて当時岩手県盛岡市に本社を置いていた東日本ハウス(現・日本ハウスホールディングス)の社長を初代社長に招聘した[4]。現在も出資者に日本ハウスHDが入っているのはこの時の経緯に由来するものと思われる。 沿革
脚注注釈出典
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