ドン・ジマー

ドン・ジマー
Don Zimmer
タンパベイ・レイズでのコーチ時代
(2009年4月5日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オハイオ州シンシナティ
生年月日 (1931-01-17) 1931年1月17日
没年月日 (2014-06-04) 2014年6月4日(83歳没)
身長
体重
5' 9" =約175.3 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手二塁手遊撃手
プロ入り 1949年
初出場 MLB / 1954年7月2日
NPB / 1966年4月9日
最終出場 MLB / 1965年10月2日
NPB / 1966年10月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

ドナルド・ウィリアム・ジマー(Donald William Zimmer、1931年1月17日 - 2014年6月4日)は、アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティ出身のプロ野球選手内野手)、プロ野球監督

登録名のドンは愛称であり、その他にも"ポパイ"("Popeye")[1]、"ジップ"("Zip")[1]、"ジャービル"("Gerbil"、スナネズミ)がある[1]

経歴

1949年からマイナーリーグでプレーを開始した[2]

有望な内野手として高い評価を受けていたが、1953年に投球が頭部を直撃し、頭蓋骨骨折の重傷。2週間以上無意識の状態が続き、この時に金属プレートで頭蓋骨を固定する手術を受けた[3]

ドジャースでの現役時代のジマー(1959年)
現役時代に出演したジレットのCM(1958年)

メジャー昇格後はMLBブルックリン・ドジャースシカゴ・カブスなどでプレー。主に二塁手三塁手遊撃手を務め、1961年にはMLBオールスターゲームにも選出された。

1966年東映フライヤーズに入団。しかし、打率.182、9本塁打に終わり、同年限りで退団した。

帰国後は、サンディエゴ・パドレス(1972年 - 1973年)、ボストン・レッドソックス(1976年 - 1980年)、テキサス・レンジャーズ(1981年 - 1982年)、シカゴ・カブス(1988年 - 1991年)で監督を歴任。パドレス監督時代には日本式練習の特訓を応用したが、僅か2年で不評のまま解任された[4]1989年にはカブスを地区優勝に導き、ナショナルリーグ最優秀監督に選ばれた。1990年日米野球ではMLB選抜の監督を務めた。

1996年から2003年にかけてはニューヨーク・ヤンキースのベンチコーチとして監督のジョー・トーリを支え、この時期に6度のアメリカンリーグ制覇と4度のワールドシリーズ優勝を経験する。

1999年10月5日、レンジャーズとのアメリカンリーグ・ディビジョンシリーズ(ALDS)第1戦で、チャック・ノブロックが放ったファウルの打球が顔面を直撃し顎と耳に裂傷を負うが、7日の第2戦ではNYのロゴが入った軍用ヘルメットをかぶってベンチ入りし、周囲の笑いを誘った。その後、MLBのスタジアムではダッグアウトの前に防護ネットが設置されるようになる。

2003年10月11日にライバルのレッドソックス英語版とのアメリカンリーグ・チャンピオンシップシリーズ(ALCS)第3戦で両チームの乱闘が起こった際、レッドソックスのペドロ・マルティネスの元へ突進したが、マルティネスに投げ飛ばされ軽い怪我を負った(当時72歳)。翌日にはジマー自身が涙を浮かべながら謝罪会見を行った。

2004年からはタンパベイ・レイズのシニアアドバイザーを務めた。

2014年4月に心臓手術を受け、フロリダ州のリハビリセンターで療養していたが、同年6月4日に死去[5]。83歳没。

ジマーのレイズ在籍時に最後につけた背番号「66」。
タンパベイ・レイズの永久欠番2015年指定。

2015年3月24日にレイズでの功績を讃え、ジマーがレイズ在籍時、かつ最後につけていた背番号(後述)『66』を永久欠番とすることを発表した[6]

2023年4月2日に新設されたレイズの球団殿堂に第1号として、殿堂入りを果たした[7]

人物

その容姿の類似性から有名な漫画の主人公ポパイ愛称が付けられた[8]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1954 BRO
LAD
24 37 33 3 6 0 1 0 8 0 2 0 0 0 3 -- 1 8 1 .182 .270 .242 .513
1955 88 309 280 38 67 10 1 15 124 50 5 3 4 4 19 5 2 66 7 .239 .289 .443 .731
1956 17 21 20 4 6 1 0 0 7 2 0 1 0 0 0 0 1 7 1 .300 .333 .350 .683
1957 84 289 269 23 59 9 1 6 88 19 1 3 3 1 16 5 0 63 8 .219 .262 .327 .589
1958 127 495 455 52 119 15 2 17 189 60 14 2 9 2 28 1 1 92 17 .262 .305 .415 .720
1959 97 292 249 21 41 7 1 4 62 28 3 1 4 1 37 7 1 56 8 .165 .274 .249 .523
1960 CHC 132 402 368 37 95 16 7 6 143 35 8 6 5 2 27 4 0 56 9 .258 .307 .389 .696
1961 128 512 477 57 120 25 4 13 192 40 5 1 7 1 25 1 2 70 16 .252 .291 .403 .694
1962 NYM 14 55 52 3 4 1 0 0 5 1 0 1 0 0 3 0 0 10 1 .077 .127 .096 .223
CIN 63 207 192 16 48 11 2 2 69 16 1 2 0 0 14 1 1 30 5 .250 .304 .359 .664
'62計 77 262 244 19 52 12 2 2 74 17 1 3 0 0 17 1 1 40 6 .213 .267 .303 .570
1963 LAD 22 26 23 4 5 1 0 1 9 2 0 0 0 0 3 0 0 10 1 .217 .308 .391 .699
WS3 83 320 298 37 74 12 1 13 127 44 3 2 2 0 18 2 2 57 10 .248 .296 .426 .722
'63計 105 346 321 41 79 13 1 14 136 46 3 2 2 0 21 2 2 67 11 .246 .297 .424 .720
1964 121 370 341 38 84 16 2 12 140 38 1 3 2 0 27 0 0 94 8 .246 .302 .411 .712
1965 95 258 226 20 45 6 0 2 57 17 2 0 1 3 26 1 2 59 7 .199 .284 .252 .536
1966 東映 87 213 203 14 37 2 0 9 66 20 0 2 2 0 8 2 0 41 11 .182 .213 .325 .538
MLB:12年 1095 3593 3283 353 773 130 22 91 1220 352 45 25 37 14 246 27 13 678 99 .235 .290 .372 .662
NPB:1年 87 213 203 14 37 2 0 9 66 20 0 2 2 0 8 2 0 41 11 .182 .213 .325 .538
  • BRO(ブルックリン・ドジャース)は、1958年にLAD(ロサンゼルス・ドジャース)に球団名を変更

年度別監督成績

年度 球団 順位 試合 勝利 敗戦 勝率
1972 SD 6位 142 54 88 .380
1973 2位 162 88 74 .543
1976 BOS 3位 76 42 34 .553
1977 3位 161 97 64 .602
1978 2位 163 99 64 .607
1979 3位 160 91 69 .569
1980 4位 155 82 73 .529
1981 TEX 2位 105 57 48 .543
1982 6位 96 38 58 .396
1988 CHC 4位 163 77 85 .475
1989 1位 162 93 69 .574
1990 5位 162 77 85 .475
1991 4位 37 18 19 .486
通算:13年 1744 885 858 .508
  • 順位は最終順位

記録

NPB
MLB

背番号

  • 23 (1954年 - 1959年、1963年 - 同年途中、1964年 - 1965年、1980年 - 1982年)
  • 17 (1960年 - 1962年途中)
  • 14 (1962年途中 - 同年終了)
  • 34 (1963年途中 - 同年終了、1976年 - 1979年)
  • 8 (1966年)
  • 9 (1972年 - 1973年)
  • 4 (1988年 - 1991年)
  • 48 (1996年 - 1997年)
  • 50 (1998年 - 1999年)
  • 52 (2000年)
  • 53 (2001年)
  • 54 (2002年 - 2003年)
  • 66 (2014年)

1996年以降のジマーの背番号はプロ入りしてからの野球人生の年数を表しており、1年ごとに1つ大きくなっている。ただし、ヤンキースコーチ在籍時、チームの主力選手(例:バーニー・ウィリアムス(「51」)、松井秀喜(「55」))やかつての主力選手(ロン・ギドリー(「49」))と背番号が被る場合は配慮しており、続けて前年と同じ番号を着用していた。

脚注

  1. ^ a b c Baseball Player Nicknames” (英語). Baseball Reference. Septmber 20, 2021閲覧。
  2. ^ Don Zimmer Minor League Statistics & History” (英語). Baseball-Reference.com. 2014年6月5日閲覧。
  3. ^ Baseball icon DonZimmer passes away at age 83” (英語). CBSSports.com. 2014年6月5日閲覧。
  4. ^ 【メジャーの旅】パドレス移籍のダルビッシュに託された、元ハンバーガー王の夢 - ZAKZAK
  5. ^ ドン・ジマー氏が死去 元米大リーグ監督 日本経済新聞 2014年6月5日
  6. ^ レイズ、ドン・ジマー氏の「66」が永久欠番に 日刊スポーツ 2015年3月25日閲覧
  7. ^ Adam Berry (April 3, 2023). “Rays induct 'true baseball legend' Zimmer into Hall of Fame” (英語). MLB.com. June 27, 2023閲覧。
  8. ^ Popeye the Baseball Man” (英語). The New York Times. 2014年6月5日閲覧。

関連項目

外部リンク