ランディ・チョート
ランドール・ドイル・チョート(Randol Doyle Choate , 1975年9月5日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州サンアントニオ出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 経歴プロ入りとヤンキース時代1997年のMLBドラフト5巡目(全体169位)でニューヨーク・ヤンキースから指名され、6月30日に契約。契約後、A-級オネオンタ・ヤンキースでプロデビュー。10試合に先発登板して5勝1敗・防御率1.73・61奪三振の成績を残した。 1998年はA級グリーンズボロ・バッツとA+級タンパ・ヤンキースでプレー。A+級タンパでは13試合に先発登板して1勝8敗・防御率5.27・55奪三振の成績を残した。 1999年からリリーフへ転向。A+級タンパで47試合に登板して2勝2敗1セーブ・防御率4.50・62奪三振の成績を残した。 2000年はAAA級コロンバス・クリッパーズで開幕を迎え、33試合に登板すると、6月29日にヤンキースとメジャー契約を結んだ。7月1日のタンパベイ・デビルレイズ戦で2番手として登板し、メジャーデビュー。0.1回を無安打無失点に抑え、初ホールドを記録した。その後はリリーフとして定着し、22試合に登板。0勝1敗2ホールド・防御率4.76・12奪三振の成績を残した。 2001年3月19日にヤンキースと1年契約に合意し、開幕ロースター入りを果たした。この年は37試合に登板して3勝1敗3ホールド・防御率3.35・35奪三振の成績を残した。 2002年3月4日にヤンキースと1年契約に合意。この年は昇降格を繰り返し、18試合の登板にとどまった。防御率は6.04。 2003年3月6日にヤンキースと1年契約に合意。この年は5試合の登板に終わり、オフの12月7日にDFAとなった。 ダイヤモンドバックス時代2003年12月16日にハビアー・バスケスとの1対3のトレードで、ニック・ジョンソン、フアン・リベラと共にモントリオール・エクスポズに移籍した。 2004年2月27日にエクスポズと1年契約に合意したが、開幕直前の3月25日にジョン・パターソンとのトレードで、アリゾナ・ダイヤモンドバックスに移籍した[1]。移籍後は74試合に登板して2勝4敗11ホールド・防御率4.62・49奪三振の成績を残した。 2005年1月17日にダイヤモンドバックスと総額130万ドルの2年契約を結んだ[2]。開幕後は8試合に登板したが、防御率9.00と結果を残せず、5月5日にDFAとなり[3]、5月11日にマイナー契約で再契約した。その後はAAA級ツーソン・サイドワインダーズで47試合に登板して1勝1敗3セーブ・防御率3.38・20奪三振の成績を残した。 2006年は開幕をAAA級ツーソンで迎え、6月13日にダイヤモンドバックスとメジャー契約を結んだ[4]。昇格後は12試合連続無失点を記録するなど、リリーフとして定着していたが、7月中旬から失点が目立ち、8月6日にDFAとなった[5]。8月9日にマイナー契約を結び、AAA級ツーソンで再びプレーしていたが、9月2日に再びダイヤモンドバックスとメジャー契約を結んだ[6]。その後は9試合に登板した。この年は30試合に登板して0勝1敗5ホールド・防御率3.94・12奪三振の成績を残した。オフの11月20日にDFAとなり[7]、28日にFAとなった。 2007年1月9日にミネソタ・ツインズとマイナー契約を結んだが、3月24日に契約を解除された。開幕後の4月17日にダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ[8]。6月26日にダイヤモンドバックスとメジャー契約を結び、2試合に登板したが、両試合とも1死も取れず降板したため、6月28日にDFAとなり[9]、7月2日にマイナー契約を結んだ。オフの11月3日にFAとなった。 ブルワーズ傘下時代2007年11月14日にミルウォーキー・ブルワーズと50万ドル(マイナーの場合7万5000ドル)の1年契約を結んだ[10][11]。 2008年3月20日に左手の故障で15日間の故障者リスト入りし、7月10日に40人枠を外れ、AAA級ナッシュビル・サウンズへ降格した。AAA級ナッシュビルでは26試合に登板して0勝4敗・防御率5.08・31奪三振の成績を残した。 レイズ時代2009年1月6日にタンパベイ・レイズとマイナー契約を結んだ。5月25日にブライアン・シャウスが故障者リスト入りしたため、レイズとメジャー契約を結ぶと[12]、シーズン終了までリリーフに定着。61試合に登板して1勝0敗5セーブ・9ホールド・防御率3.47・28奪三振と完全復活を果たした。オフの12月12日にレイズと70万ドルの1年契約を結んだ[13]。 2010年はリーグ最多の85試合に登板して4勝3敗18ホールド・防御率4.23・40奪三振の成績を残した。オフの11月1日にFAとなった。レイズはタイプBとなったチョートに年俸調停を申請した[14]ものの、契約には至っていない。 マーリンズ時代2010年12月15日にフロリダ・マーリンズと総額250万ドル[15]の2年契約を結んだ[16][17]。 2011年は開幕からリリーフとして登板していたが、8月18日に左肘の故障で15日間の故障者リスト入りし[18]、9月5日に60日間の故障者リストへ異動。そのままシーズンを終えた。この年は54試合に登板して1勝1敗・防御率1.82・31奪三振の成績を残した。 2012年は開幕から44試合に登板し、防御率2.49・27奪三振の成績を残した。 ドジャース時代2012年7月25日にネイサン・イオバルディ、スコット・マクガフとの2対2のトレードで、ハンリー・ラミレスと共にロサンゼルス・ドジャースへ移籍した[19]。ドジャースでは36試合に登板。2球団の合計ではリーグトップとなる80試合に登板した。シーズン終了後の10月29日にFAとなった。 カージナルス時代2012年12月5日にセントルイス・カージナルスと総額750万ドルの3年契約を結んだ[20][21]。 2013年は64試合に登板して2勝1敗15ホールド・防御率2.29・28奪三振の成績を残した。 2014年は61試合に登板し、2勝2敗10ホールド、防御率4.50・32奪三振の成績を残した。オフの11月7日に日米野球2014のMLB選抜に選出された[22][23]。 2015年は71試合に登板して1勝0敗1セーブ、8ホールド、防御率3.95・22奪三振の成績を残した。オフの11月2日にFAとなった[24]。 カージナルス退団後2016年3月11日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ[25]が、29日に自由契約となった[26]。 その後、6月にドジャースとマイナー契約を結んだが、9月1日に自由契約となった[27]。 投球スタイル左のショートリリーバー(LOOGY)の代表例とも言えるサイドスローの投手。球種は84~89mphのツーシームと75~78mphのスライダーの2種類のみである[29]。 2015年終了時点で、対右打者は打者714人に被打率.290、被OPS.807なのに対し、対左打者は打者1036人を被打率.195、被OPS.550に抑えている[30]。 詳細情報年度別投手成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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