トム・ジンク
トム・ジンク("Z-Man" Tom Zenk、本名:Thomas Erwin Zenk、1958年11月30日 - 2017年12月9日[1])は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ミネソタ州ゴールデンバレー出身[2]。 より原音に近いファミリーネームの表記は「ズィンク」だが、本項では日本で定着している表記(日本語圏で一般によく知られている名前)を使用する。 来歴カート・ヘニング、リック・ルード、スコット・シンプソン、バリー・ダーソウ、ジョン・ノードらを輩出したロビンズデール・ハイスクールの出身[2]。学生時代からボディビルに熱中し、後に "Mr. Minnesota" など数々のタイトルを獲得した[2]。 ルードやシンプソンをコーチしたエディ・シャーキーにスカウトされ、1983年にビル・ワット主宰のMSWAにてデビュー[3]。1984年からはバーン・ガニアの牛耳る地元ミネソタのAWAに登場、甘いマスクと肉体美を持つベビーフェイスの新鋭として、次代のスター候補と目された[2]。 1985年より、太平洋岸北西部のオレゴンやワシントンをサーキット・エリアとするNWA圏のパシフィック・ノースウエスト・レスリングに参戦。1986年1月21日にボビー・ジャガーズからNWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を奪取した[4]。同年下期からはカナダのモントリオール地区(ジノ・ブリット主宰のインターナショナル・レスリング)に進出、11月には同地区のスターだったリック・マーテルのパートナーとして、全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に初来日した[5]。 以降も本格的にマーテルとタッグチームを結成し、翌1987年、カンナム・コネクション(The Can-Am Connection)のチーム名でWWFに参戦。ハート・ファウンデーション(ブレット・ハート&ジム・ナイドハート)やドリーム・チーム(グレッグ・バレンタイン&ブルータス・ビーフケーキ)などヒールのトップチームと対戦し[6]、3月29日のレッスルマニアIIIではカウボーイ・ボブ・オートン&マグニフィセント・ムラコから勝利を収めるも[7]、契約のトラブルでジンクのみ短期間でWWFを離脱した[2]。 その後は古巣のAWAに戻り、1989年2月7日にセントポールで行われたAWA世界ヘビー級王者決定バトルロイヤルにも出場。サージェント・スローター、ワフー・マクダニエル、ケン・パテラ、マイク・ジョージ、アキオ・サトー、パット・タナカ、ポール・ダイヤモンド、マニー・フェルナンデス、グレッグ・ガニア、カーネル・デビアーズらを抑え、ラリー・ズビスコと優勝を争ったが、オーバー・ザ・トップロープで失格し戴冠は果たせなかった[8]。 また、この間には全日本プロレスの常連外国人選手となり、1986年11月の初来日から1989年7月まで5回に渡って来日した(最強タッグには1987年大会にもザ・ターミネーターをパートナーに参加するなど、2年連続で出場している[9]。1989年4月の来日時は大田区体育館にてダニー・クロファットと組み、サムソン冬木&川田利明のフットルースが保持していたアジアタッグ王座に挑戦した[10])[11]。 1989年末、当時まだNWAに加盟していた初期WCWに、Zマン(Z-Man)と名乗って登場。翌1990年1月30日にはジョージア州マリエッタにてリック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座に挑戦している[12]。タッグ戦線ではブライアン・ピルマンとコンビを組み、1990年2月12日にトーナメント決勝でファビュラス・フリーバーズ(マイケル・ヘイズ&ジミー・ガービン)を破りUSタッグ王座を獲得[13]。同年12月4日にはアーン・アンダーソンから世界TV王座を奪取している[14]。翌1991年3月21日、WCWとの提携ルートで新日本プロレスの東京ドーム大会に参戦[15]。新日本プロレスには1992年10月にも来日し、ナイドハートと組んでSGタッグ・リーグ戦IIに出場した[16]。 1993年はリッキー・スティムボートとドス・オンブレス(Dos Hombres)なる覆面タッグチームを一時的に結成し、5月23日にWCWの本拠地アトランタで行われたPPV "Slamboree" に出場、ヒールターンしたピルマンとスタニング・スティーブ・オースチンのハリウッド・ブロンズが保持するWCW世界タッグ王座にスチール・ケージ・マッチで挑戦した[17]。 1994年の初頭にWCWを離れ、同年6月と9月には全日本プロレスに久々に登場(日本には通算9回来日)[18]。以降はインディー団体を転戦し、1996年に引退した。 2017年12月9日、ミネソタ州ロビンズデールのノース・メモリアル・メディカル・センター(North Memorial Medical Center)において、59歳で死去[1]。 得意技獲得タイトル
脚注
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