ディズニートゥーン・スタジオ
ディズニートゥーン・スタジオ(DisneyToon Studios)は、アメリカのカリフォルニア州グレンデールに本社を置き、かつてはディズニー・ムービートゥーンズ(Disney Movietoons[2])の名で知られたアメリカ合衆国のアニメーション・スタジオ。ウォルト・ディズニー・カンパニーの下でビデオ映画、短編映画、テレビスペシャル作品を主に製作していた。スタジオはウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオとは別々に活動し(両スタジオ共、ウォルト・ディズニー・スタジオのウォルト・ディズニー・モーション・ピクチャーズ・グループの一部である)[1]、スタジオは閉鎖される2018年6月までに42本の長編を公開し、最初の作品は『ダックテイル・ザ・ムービー/失われた魔法のランプ』(1990年)、最終作は『ティンカー・ベルと流れ星の伝説』(2015年)であった。 2007年にピクサー重役のエドウィン・キャットマルとジョン・ラセターが社長及びチーフ・クリエイティヴ・オフィサーとなった。翌年の『ティンカー・ベル』以降からスタジオは続編のビデオ映画よりもディズニー及びピクサー作品のスピンオフに重きを置き始めた[3][4]。 2018年6月28日、スタジオの閉鎖が行われた[5]。 歴史黎明期(ムービートゥーンズ)ディズニー・ムービートゥーンズの最初の作品は、ディズニーからシンジケーション放送されたテレビ番組『わんぱくダック夢冒険』の映画版『ダックテイル・ザ・ムービー/失われた魔法のランプ』(1990年)である[2]。同時期にスタジオは、ウォルト・ディズニー・フィチャー・アニメーションの作品の続編となるビデオ映画の製作を始めた。最初の作品は『アラジン』(1992年)の続編の『アラジン ジャファーの逆襲』(1994年)である。ストーリーはテレビシリーズ『アラジンの大冒険』の劇場版となる内容であった。『ジャファーの逆襲』は商業的に成功を収め、2つ目の続編『アラジン完結編 盗賊王の伝説』(1996年)も発売された。 その他に『美女と野獣 ベルの素敵なプレゼント』(1997年)、『ポカホンタスII/イングランドへの旅立ち』(1998年)、『ライオン・キング2 シンバズ・プライド』(1998年)、『シンデレラII』(2002)といった続編ビデオ映画が発売された[6]。 ディズニートゥーン・スタジオ2003年1月、ディズニーは効率良くリソースを使い、新たなキャラクターやフランチャイズを開発するためにスタジオの再編成を行った。6月にディズニー・ムービートゥーンズ/ディズニー・ビデオ・プレミアズ班はディズニー・テレビジョン・アニメーションからウォルト・ディズニー・フィーチャー・アニメーションに置かれ、ディズニートゥーン・スタジオに改名された[7]。 2005年7月25日、ディズニーは設立から17年目となるディズニートゥーン・スタジオ・オーストラリアを2006年10月を以て閉鎖する意向を発表した。最後の作品は『シンデレラIII 戻された時計の針』であった[8]。 2007年6月22日、ディズニーの再編成によりディズニートゥーン・スタジオはエドウィン・キャットマルとジョン・ラセターの管理下に置かれ、フィーチャー・アニメーションはウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオに改名された。チーフ・クリエイティヴ・オフィサーのラセターは企画中となっていた全ての長編映画の中止を要求した。この結果、企画中であった『ふしぎの国のアリス』、『チキン・リトル』、『ルイスと未来泥棒』、『おしゃれキャット』の続編を含むすべてのプロジェクトが中止された[9][10]。また、製作途中であった『ティンカー・ベル』も、ラセターの指揮下で一からつくりなおすことになった。後日、ディズニートゥーンは今後はディズニー映画の続編を製作せず、スピンオフやオリジナル作品に焦点を当てることが発表された。またディズニートゥーン社長であったシャロン・モリルは更迭された。 その後、ディズニートゥーン・スタジオは『ティンカー・ベル』シリーズと、『カーズ』のスピンオフ作品である『プレーンズ』シリーズを製作した。そして2018年6月28日、スタジオの閉鎖が行われ製作予定であった「プレーンズ」のスピンオフ作品は製作中止となった[5]。 映画
参考文献
外部リンク |
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