ティロン・ルー
ティロン・ジャマー・ルー(Tyronn Jamar Lue, 1977年5月3日 - )は、アメリカ合衆国ミズーリ州メキシコ出身の元プロバスケットボール選手、指導者。NBAのロサンゼルス・クリッパーズでヘッドコーチを務めている。現役時代のポジションはポイントガード。 選手時代ロサンゼルス・レイカーズネブラスカ大学で3年間プレーした後に、1998年のNBAドラフトにアーリーエントリーすることを表明した。1998年6月24日に行われたNBAドラフトにて1巡目全体23位でデンバー・ナゲッツから指名されたが、その後にニック・ヴァン・エクセルとのトレードで交渉権がロサンゼルス・レイカーズへ放出された。 2000-01シーズン、チームはNBAファイナルに進出し、ルーはデレック・フィッシャーの控えポイントガードとして、特にディフェンス面でチームに貢献した。フィラデルフィア・76ersとの第1戦で、アレン・アイバーソンのクロスオーバー後に地面に倒れ込み、アイバーソンに膝上を跨がれたシーンは非常に有名である。最終的に、チームは76ersを第5戦の末に破り、自身2度目となるNBAチャンピオンを獲得した。 ワシントン・ウィザーズ2000-01シーズン終了後にワシントン・ウィザーズとの契約に合意した。 オーランド・マジック2003-04シーズンにオーランド・マジックへ移籍し、トレイシー・マグレディと共にプレーしたが、チームはリーグ最下位となる21勝61敗を記録してしまった。 ヒューストン・ロケッツ2003-04シーズン終了後にカッティノ・モーブリー、スティーブ・フランシス、ケルヴィン・ケイトとのトレードで、ジュワン・ハワード、リース・ゲインズと共にヒューストン・ロケッツへ移籍した。ロケッツでは、ロスターにポイントガードが多く居たためにプレー時間が著しく減少した。 アトランタ・ホークス2004-05シーズン途中にジョン・バリーとのトレードでアトランタ・ホークスへ移籍した。 2005年8月30日にホークスとの再契約に合意した[1]。 ダラス・マーベリックス2008年2月16日にマイク・ビビーとのトレードでサクラメント・キングスへ移籍したが、1試合も出場せずに解雇された。その後にウェーバー公示を経てダラス・マーベリックスとの契約に合意した。 ミルウォーキー・バックス7月17日にミルウォーキー・バックスとの契約に合意した。 マジック復帰2009年2月5日にキース・ボーガンス、金銭とのトレードで古巣であるオーランド・マジックへ移籍した。このシーズンの終了後に、現役引退することを表明した。 コーチ時代2009年からドック・リバースの下でコーチ歴を開始[2]。ボストン・セルティックスでアシスタントコーチを務め、2013-14シーズンはロサンゼルス・クリッパーズのアシスタントコーチを務めた後[3]、2014年からクリーブランド・キャバリアーズのトップアシスタントコーチに就任[4]。2015年5月10日のプレーオフセミファイナルのシカゴ・ブルズ戦の第4戦では、第4クォーター終了間際にタイムアウトを使い果たしたことを忘れてタイムアウトを取ろうとしたデビッド・ブラットHCを、身体を張って制止し、直後にレブロン・ジェームズの決勝ブザービーターシュートを呼び込んだ。 2016年1月22日、ブラットHCの解雇に伴い、HCに昇格した[5]。難しい局面からチームを2年連続でNBAファイナルに導き、ゴールデンステート・ウォリアーズとの再戦では、1勝3敗まで追い詰められたものの、3連勝で奇跡的なカムバックでキャバリアーズに初のNBAチャンピオンをもたらした。その後も2年連続でNBAファイナルに進出するも、いずれもゴールデンステート・ウォリアーズ相手に敗戦。 2018-19シーズン開幕前にFAとなったレブロン・ジェームズがロサンゼルス・レイカーズに移籍[6]すると、キャブスは開幕から6連敗と苦戦を強いられる。コビー・アルトマンGMは、成績不振を理由に10月28日にティロン・ルーのHC解任を発表した[7]。 個人成績
NBAレギュラーシーズン
プレーオフ
ヘッドコーチ成績
脚注
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia