ロバート・オーリー
ロバート・キース・オーリー (Robert Keith Horry, 1970年8月25日 - ) は、アメリカ合衆国アラバマ州アンダルシア生まれの元バスケットボール選手。 キャリアを通して、決してスターと呼べるほどの選手でもチームのエースでもないロールプレイヤーであったが、優れたクラッチシューターとして複数の強豪チームで"優勝請負人" として活躍し、引退までに所属した4チームのうちの3チームで優勝(ロケッツ2回、レイカーズで3回、スパーズ2回)し計7つのNBAチャンピオンリングを獲得した[1]。これはマイケル・ジョーダンの6つを上回り、1959年からのボストン・セルティックス8連覇時代に同チームに所属していなかった選手としては合計7回の優勝は最多の記録である[2]。 概要彼のレギュラーシーズンの成績はとてもスーパースターと呼べるものではない。しかし、プレイオフやファイナルで最も大切な場面での神がかりなプレーぶりは、「ビッグショット・ロブ(Big Shot Rob)」[1]と呼ばれNBAの歴史上でも屈指のクラッチシューターとして知られている[3]。NBA優勝を7度経験している。ヒューストン・ロケッツで2回、ロサンゼルス・レイカーズで3回、サンアントニオ・スパーズで2回と過去3チームに渡りNBAチャンピオンとなる。これはジョン・サリー以来2人目である。 1992年全体11位でドラフト指名されてロケッツに入団する。1994年、1995年にロケッツの2連覇に貢献して、ファイナルでの1つのクオーターで5本の3ポイントシュートを決めている。 経歴ロケッツ1992-93シーズン、ヒューストン・ロケッツに入団。1993-94シーズン、ニューヨーク・ニックスとのファイナルでは7戦のうち4戦で2桁得点を決め[4]、初のNBAチャンピオンとなった。翌1994-95シーズン、スパーズとのカンファレンスファイナルでは6戦中、4戦で二桁得点(第2戦では21ポイント、第6戦では22ポイントを記録)を決めてファイナルに進出、オーランド・マジックとのファイナルでは、出場した3試合でいずれも2桁得点を決めて[5]、2度目のNBAチャンピオンとなった。この時、第2戦では7スティールを記録。第3戦では決勝点となった3ポイントを成功させた[3] サンズ1996-97シーズン、トレードでフェニックス・サンズへ移籍。 レイカーズ1996-97シーズン途中の1月、サンズからロサンゼルス・レイカーズへトレードで移籍、7シーズンで3度の優勝を経験、2001-2002シーズン、プレイオフ1回戦のポートランド・トレイルブレイザーズとの第3戦、試合終了直前にスリーポイントシュートで逆転勝ちに貢献、カンファレンス決勝でサクラメント・キングスと対戦したが1勝2敗で迎えた第4戦、4Qで残り12秒、スコアは97-99と2点ビハインドの状況で、同点を狙ったコービー・ブライアントのレイアップ、シャキール・オニールのリバウンドがどれも決まらず、万事休すかと思われた。しかし跳ね返ったボールはスリーポイントラインにいたロバート・オーリーの元へ。迷わずシュート放ち、それと同時にブザーが鳴り響く、ボールはリングへと吸い込まれ、スコアは100-99、奇跡の大逆転のブザービーターとなった。試合時間が残り僅か数秒で、2点リードされた中、ブザービーターとなる3ポイントを決め、チームに逆転勝ちをもたらしたこの試合はレイカーズでの語り草となっている[6]。 スパーズ2003年7月24日、サンアントニオ・スパーズと契約し[7]、2003-04シーズンからはサンアントニオ・スパーズへ移籍。2004-2005シーズン、カンファレンスファイナルのサンズとの対戦では5戦中3戦で二桁得点を決め[8]、ファイナル進出に貢献。デトロイト・ピストンズとのNBAファイナル第2戦で12ポイントを挙げて勝利[8]。第5戦では、リチャード・ハミルトン越しに豪快にダンクシュートを決め、更にタイムアウト後にラシード・ウォーレスのマークを外して逆転の3ポイントシュートを決めるなど、5本の3ポイントを含む、21ポイントを決め、勝利をもたらした[8]。第7戦でも15ポイントを決めてチームの勝利に貢献[8]、通算6個目のチャンピオンリンクを獲得した。 2006-07シーズンのキャブスとのファイナルでは、得点は少なかったが、第1戦で6つのアシストを決めて勝利、第2戦では9個のリバウンドを記録して勝利するなど[9]、チームに貢献し、自身7個目のチャンピオンリンクを獲得した。2007-08シーズン終了後、フリーとなるも、獲得するチームは現れず、そのまま引退に至った。 プレイオフ通算勝利数155勝は、レブロン・ジェームズ(162勝)、デレック・フィッシャー(161勝)、ティム・ダンカン(157勝)に次ぐ歴代4位である[10]。引退後の2004年にはバスケットボール殿堂にノミネートされた[3]。 人物計4チームでプレーしたが、引退後も各チームの状況を気にかけており、現地時間2023年1月31日に行われたレイカーズ対ニックス戦で八村塁が当時レイカーズに移籍後最多の19得点、9リバウンド、1ブロックと躍動し、オーバータイム(OT)の末に勝利した際、テレビ番組で「ルイは最高のプレーをしている。さらにオフェンスで自信を増すことと、チームが彼を理解することを待つだけ」と称賛し太鼓判を押していた[11]。 個人成績
レギュラーシーズン
プレーオフ
1試合記録
その他
脚注
外部リンク
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