J・R・スミス
J・R・スミス(J. R. Smith)ことアール・ジョセフ・スミス3世(Earl Joseph Smith III、1985年9月9日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州フリーホールドバロー出身の元プロバスケットボール選手。ポジションはシューティングガード。愛称はThe Prodigy(奇才の意)。 経歴学生時代高校生時代、最初の2年間はレイクウッド高校に通い、最後の2年間はセント・ベネディクト高等学校に通った。最終学年には23.9得点5.0スティールの成績を残し、シーズン通算700得点、スリーポイントシュート成功数108本、フィールドゴール成功率54.1%は同校の新記録となった。また2年連続で州のオールファーストチームに選ばれ、マクドナルド主催のマクドナルド・オール・アメリカンにも出場し、ゲームハイの25得点をあげてイーストチームを勝利に導いた。 ニューオーリンズ・ホーネッツドラフト前は名門ノースカロライナ大学への進学が予定されていたが、大学へは進学せず、高校から直接2004年のNBAドラフトにアーリーエントリーした。そしてニューオリンズ・ホーネッツに1巡目18位指名を受けてNBA入りを果たした。ルーキーイヤーとなった2004-05シーズンは、序盤はベンチスタートとなったが、12月下旬から先発に昇格し、主に得点面で活躍して平均10.3得点1.9スティールの成績を残した。またこのシーズンのNBAオールスターゲームではスラムダンクコンテストに出場し、NBAファンに高い身体能力を披露した。2年目の2005-06シーズンは調子を崩して成績は後退。 デンバー・ナゲッツ2年目のオフにトレードに出され、シカゴ・ブルズへ放出。しかし直後に再びトレードに出され、2006-07シーズンはデンバー・ナゲッツの一員として迎えた。 ナゲッツにて調子を取り戻したスミスは、先発SGとして毎晩高得点を叩き出していたが、12月16日のニューヨーク・ニックス戦で発生した乱闘事件に関与したとして、リーグから10試合の停止処分を受けた。さらにシーズン中盤になってチームは大物選手のアレン・アイバーソンを獲得したため、スミスは控えに回ることとなり、またヘッドコーチのジョージ・カールからも信頼が得られず、シーズン終盤になるにつれて出場時間は減少、1回戦で敗退したプレーオフの第5戦ではコートに立つことさえ許されなかった。 トラブルが絶えないスミスは2007-08シーズン前にもナイトクラブで暴行事件を起こし、チームから3試合の出場停止処分を受けた。2009年4月13日のサクラメント・キングス戦にてキャリアハイとなる45点を記録。 2009-10シーズンになり、背番号を1番から5番に変更した。 浙江ゴールデンブルズ2011年、NBAロックアウトの影響を受け、中国バスケットボール協会の浙江ゴールデンブルズと契約。CBAでプレーした。 ニューヨーク・ニックス2012年、ニューヨーク・ニックスと契約。NBAに復帰した。 クリーブランド・キャバリアーズ2015年1月5日、オクラホマシティ・サンダーなどが絡んだ三角トレードで、クリーブランド・キャバリアーズに移籍した。2015-16シーズンには念願のNBAチャンピオンを経験。同年7月に、2年目の契約を破棄しFAとなり、キャバリアーズとの再契約を目指したものの、トレーニングキャンプ中の10月に入っても再契約交渉が難航[2] していたが、同月14日に4年5700万ドルで無事再契約した[3]。2018年のNBAファイナル第1戦では同点の場面でジョージ・ヒルが外したフリースローをオフェンスリバウンドで保持したが、得点を狙うことなくそのままオーバータイムにもつれ込んだ末に敗れたため批判が殺到した [4]。 2018-19シーズンは11試合に出場したが、11月20日にキャバリアーズとの双方合意でチームを離れることになり[5]、その後どの球団にも所属することはなかった。 ロサンゼルス・レイカーズ2019-20シーズンは無所属のまま過ごしていたが、2020年3月に新型コロナウイルス流行の影響でシーズンが中断。その後7月31日から再開されることが発表され、各チームのロスターの枠が2つ増やされた。これを受けて、7月1日にキャバリアーズ時代の同僚レブロン・ジェームズ率いるロサンゼルス・レイカーズと今季終了までの契約を結んだ[6][7]。 引退2020年以降スミスはどのチームからもオファーがなく無所属のままだったが、2021年の夏にノースカロライナA&Tステイト大学に入学し、大学のゴルフチームに加入したことにより、事実上バスケットボール生活から引退した[8]。 大学でゴルフをプレーするにあたって、引退したとはいえNBAを代表するトップアスリートだったスミスの入部は「そのスポーツのプロチームで競技した経験のある個人には参加資格がない」というNCAAの規約に抵触するのではという声があったが、高校から直接NBA入りしたためNCAAのプレー資格を一度も使っていない事と、バスケ以外のスポーツで収入を得ていない(元プロのアスリートが別の競技をプレーする事は認められているため、スミスの場合はバスケ以外の競技に参加可能である)という2点からゴルフ部への入部を認められた。 ゴルフ選手としてはデビュー戦で蜂に刺されるアクシデントに加え、84人中81位に終わるなど苦戦が続いたが、学業面に於いてはGPA4.0と優秀な成績を残し、2021-22年度の大学のアカデミックアスリートオブザイヤーとして表彰された。 人物
個人成績
レギュラーシーズン
プレーオフ
CBA
脚注
外部リンク
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