ティム・サーモン
ティモシー・ジェームズ・サーモン(Timothy James Salmon , 1968年8月24日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロングビーチ出身の元プロ野球選手(外野手(主に右翼手)及び指名打者)。右投右打。愛称は「ミスターエンゼル(Mr.Angel)」、「キング・フィッシュ(King Fish)」(鮭 (Salmon) に由来)。 女優のホリー・ハンターはいとこにあたる。 経歴プロ入り前1986年のMLbドラフト18巡目でトロント・ブルージェイズから指名されるが、入団を拒否。 プロ入り1989年に地元・カリフォルニア・エンゼルスから3巡目に指名を受け入団するが、後にサーモンは当時を振り返って「1巡目指名してくれると思っていたのでショックだった」と語っている。 1992年に「ベースボール・アメリカ」誌、スポーティング・ニューズ紙がそれぞれ選出するマイナーリーグMVPに選出され、同年8月21日にメジャーデビュー。 以後、2006年シーズンを最後に現役を引退するまで15シーズンをエンゼルス一筋で活躍する。 (フランチャイズに変更はないが、1997年に「アナハイム・エンゼルス」、2005年に「ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム」と球団名が変わっている。ここでは便宜上「エンゼルス」で通す。) 1993年には142試合に出場し、打率.283、本塁打31、打点95の活躍でエンゼルス球団史上初の新人王に選ばれた。 その後も、選球眼の良い強打者として活躍。 1994年から1995年のMLBストライキで開幕が遅れ、144試合で行われた1995年には143試合に出場し、打率.330、34本塁打(自己最多タイ)、105打点をあげる。 1997年にも打率.296、33本塁打、129打点(自己最多)の活躍。 2000年の打率.290、34本塁打、97打点を境に下降線をたどる。 2002年には打率.286、22本塁打、88打点の活躍で球団史上初のワールドシリーズ進出。特に、ワールドシリーズ第2戦では、2回に2ラン本塁打、8回に決勝2ラン本塁打を放つなど、球団史上初となる世界一に貢献。そして、この年、カムバック賞を受賞した。 2004年には故障で60試合の出場に終わり、さらに2005年は左膝と右肩の手術で1シーズンを棒に振った。 2006年はマイナー契約から這い上がり、開幕ロースター入りを果たす。最終的に76試合に出場し、打率.265、9本塁打、27打点を残し、この年限りで現役を引退した。ちなみに、シーズン最終戦では、本拠地のエンゼル・スタジアム・オブ・アナハイムにサーモンの名前とジャージが掲げられた。背番号「15」は、現時点で正式な永久欠番となってはいないが、準永久欠番扱いとなっている。 2023年終了時点で四球970はエンゼルスの球団記録。得点983、安打1,674、二塁打339、打点1,012もギャレット・アンダーソンに次ぐ史上2位。出塁率.385はマイク・トラウト(現役)、ロッド・カルーに次ぐ3位。長打率.499はトラウト、ウラジミール・ゲレーロに次ぐ3位と、1960年に誕生したエンゼルスの球団史上最強の打者の一人である。守備においても強肩で補殺が多く、1997年の15補殺を筆頭に通算で100補殺を記録している。 しかしオールスターには一度も選出されなかった。通算299本塁打は、第1回オールスターの行われた1933年以降にプレーした選手のうち、オールスター非選出選手としては史上2位の記録である。ただし、1位のロジャース・ホーンスビー(通算301本塁打)は、1933年時点ですでに37歳の監督兼任選手で、1933年以降、現役選手を引退する1937年までの間に5本塁打しか記録しておらず、サーモンの記録は実質的にオールスター非選出選手としての最多本塁打記録だといえる。 詳細情報年度別打撃成績
表彰
関連項目外部リンク
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