ジミー・リース
ジェームズ・ハーマン・リース(James Herman Reese, 1901年10月1日 - 1994年7月13日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク出身のプロ野球選手(内野手)、野球指導者。右投左打。 経歴1917年に15歳でパシフィックコーストリーグ所属のロサンゼルス・エンゼルスのバットボーイとなり、1920年には同球団の二塁手となった。 その後、メジャーリーガーとなって1930年から2年間はニューヨーク・ヤンキースでプレーしたが、この時はベーブ・ルースとルームメイトだった。1932年にはセントルイス・カージナルスへ移籍し、この年が最後のメジャー出場となった。その後は西海岸へ戻り、マイナーでプレーを続けた。 引退後はボストン・ブレーブスのスカウトやマイナー各球団でコーチを歴任した。71歳だった1972年、ノックの腕前を買われてカリフォルニア・エンゼルス守備コーチに就任。以後終生エンゼルスのコーチとして過ごした。1989年にエンゼル・スタジアムで行われたオールスターでは始球式を務め、1992年にサンディエゴのジャック・マーフィー・スタジアムでのオールスターでもアメリカンリーグの名誉主将に任命された。 コーチとして在籍中の1994年7月13日、92歳で死去。死去当時メジャーリーグ全チームにおいてユニフォームを着たコーチングスタッフとして最年長だった。死の翌1995年8月、エンゼルスは23年間コーチとして支えたリースの功績を称えて在籍時の背番号『50』を永久欠番に指定した[1]。 詳細情報背番号
脚注
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