ジーン・ハサウェイ
ジーン・ハサウェイ(Jean Hathaway, 1876年6月15日 - 1938年8月23日)は、アメリカ合衆国の女優である[1]。出生名はマルキーズ・リリー・ド・フィネス(Marquise Lillie de Fiennes)[1]。 人物・来歴1876年6月15日、オーストリア=ハンガリー帝国の現在のハンガリーにベルギー貴族の娘として生まれる[1][2]。侯爵位を継承しており(出生名のマルキーズは侯爵の女性形)、これは後に長男のアンリ・レオナール(のちのヘンリー・ハサウェイ)が継承した[2]。 時期は不明であるがアメリカ合衆国に移住し、同国の俳優ロディ・ハサウェイと結婚[1]、ジーンが満21歳であった1898年3月13日、2人の間に長男アンリ・レオナールが誕生している[2]。 すでに満35歳となった1911年11月13日に公開された、アメリカン・フィルム・マニュファクチャリング・カンパニー製作、アラン・ドワン監督、J・ウォーレン・ケリガン主演の短篇コメディの西部劇 The Eastern Cowboy に芸名そのままのジーン役で助演したのが、もっとも古い映画出演の記録である[1][3]。その後、1913年にヴァイタグラフ・カンパニー・オヴ・アメリカ(ヴァイタグラフ・ スタジオ)の短篇映画に多く出演、1914年にユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)に移籍し、同年同社で初めて製作したシリアル・フィルムで、グレイス・キューナード脚本、フランシス・フォード監督のコンビが主演した『國寶』に助演、同年、ロバート・Z・レナード監督・主演のシリアル『マスター・キイ』にも助演する[1]。翌1915年には、アル・クリスティ監督の短篇 Following Father's Footsteps に脚本を提供している[1]。 同年から翌1916年にかけて、同社が量産する短篇映画に多く助演し、その合間には、フランシス・フォードおよびジャック・ジャッカードが監督したシリアル『獣魂』やフォード=キュナードが監督・主演したシリアル『紫の覆面』、同年に同社傘下に設立されたブルーバード映画では、ジョセフ・ド・グラス監督の『踊子の生涯』にも出演する[1]。1917年には、フォードの弟でそれまでも共演してきたジャック・フォード(のちのジョン・フォード)が監督としてデビューした短篇映画『颱風』では、主演を兼ねたジャック・フォードの母親役を演じている[1][4]。同年からしばらくユニヴァーサルを離れるが、1918年、ブルーバード映画でフランシス・フォードとジャック・フォードの兄弟が共同監督した『切望』に再び出演している[1]。1919年には、再びヴァイタグラフが製作したデイヴィッド・スミス監督のベッシー・ラヴ主演作2作に助演する[1]。1925年に引退し、トーキーに出演することはなかった[1]。そのころから、長男アンリ・レオナールはヘンリー・ハサウェイを名乗り、助監督やB班監督として頭角を現し始めている[2]。 1938年8月23日、カリフォルニア州ロサンゼルスに死去した[1]。満62歳没。夫のロディが亡くなったのはその6年後の1944年(昭和19年)2月18日であった[5]。 フィルモグラフィ特筆以外はすべて出演作である[1]。 1910年代
1920年代
関連事項
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