ジョルジュ・メンデスジョルジ・パウロ・アゴスティーニョ・メンデス(Jorge Paulo Agostinho Mendes, 1966年1月7日 - )は、ポルトガル・リスボン出身のFIFA公認代理人(スポーツエージェント)である。多数の顧客を持ち、同業のミノ・ライオラと共にサッカー界にもっとも影響力のある代理人の一人として知られている。ジョルジュとの表記揺れも見られるが、誤りである。
経歴1966年1月7日、ポルトガルのリスボンにて生を受ける。ジョルジ・メンデスの父親は公務員で、母親は鳥かごをつくっていた。幼少の頃、ジョルジ・メンデスは市場で鳥かごを売るために母親の手伝いをしていたという[1]。 ジョルジの家族はリスボン郊外の町から1986年にスペインのガリシア州から50キロのポルトガル北部のビアナ・ドゥ・カステロに引越しをした。ジョルジはサッカー選手としてプレーをしていたが、その町で彼はビデオクラブの経営を始めた。業績は好調で、その収入は彼のサッカー選手時代のサラリーよりも上回った。そのお金をもとに、地元のサッカークラブの広告の管理などを始めた。その後、観光業やディスコ、バルに投資し、そこで彼の最初のクライアントであるポルトガル人ゴールキーパーのヌーノ・エスピーリト・サントに出会った。ヌーノはメンデスの仕事により、デポルティーボ・ラ・コルーニャと契約。これがメンデスの代理人としてのキャリアのスタートだった。 1996年に現在の基盤となる代理人事務所を設立すると、ジョルジュ・アンドラーデら大物選手や若手選手とマネジメント契約を結び、その後、当時スポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガルの原石だったクリスティアーノ・ロナウドとも契約。2002年にウーゴ・ヴィアナのニューカッスル・ユナイテッドFC移籍で名を上げると、ポルトガル内での活動を通じてメンデスは、大物選手を次々と欧州の主要リーグに送り出していった[2]。 2004年に、当時FCポルトの監督だったジョゼ・モウリーニョを契約者リストに加えたことが、メンデスの代理人人生を一変させた。モウリーニョのマネジメントに関しては、他の代理人から訴えられるなどの問題もあったが、複数の国・クラブにわたって信頼関係を築く彼は、徐々にその評判や影響力を増していく。 2023年1月、メンデスの最大の顧客であり、盟友でもあったロナウドとのクライアント契約が解消されていたことが報じられた。発端は2022年11月にロナウドがテレビ番組で所属元のマンチェスター・ユナイテッドと関係者を猛批判したことについてメンデスはロナウドを制止したが、ロナウドが出演を強行したこととされている。事態を重く見たマンチェスター・ユナイテッド側は、同月中にロナウドとの契約を解除、ロナウドはメンデスに対してUEFAチャンピオンズリーグ出場権を持つビッグクラブと交渉するよう依頼し、それが叶わなければ契約の解消を突き付けたと言う。結果的にそれらのクラブとの交渉はまとまらず、両者は契約を解消、その後のアル・ナスルFC移籍に関してもメンデスは関与しておらず、主導したのはロナウドの個人マネージャーであったという。2023年6月のインタビューにてメンデスもクライアント契約解消を認めたうえで、ロナウドとの友誼は損なわれていないことを強調している[3][4]。 ポルトガルを中心に強力なネットワークを築いており、約700億円以上の収益をあげ、彼の会社Gestifuteは約650億円の価値があると見積もられている。 エピソード
主なクライアント主な所属選手
現役引退した所属選手監督元所属選手参照 |