コリン・アレン
コリン・アレン(Colin Allen、1938年5月9日 - )は、イングランドのロック・ミュージシャン。ドラマー。 来歴生い立ちと初期の来歴ボーンマス出身。 ドラマーとしての初期には、デキシーランド・ジャズ・トリオやモダン・ジャズ・トリオで演奏していた[1]。地元のホテルにあったジャズ・クラブでギタリストのアンディ・サマーズ[注釈 1]と出会い、彼とザ・ポール・ルーザー・トリオ[注釈 2]、アンディ・サマーズ・カルテットなどを結成して一緒に演奏した。やがて、このジャズ・クラブで2人はズート・マネー(キーボード、ボーカル)に出会った[1]。 ズート・マネーズ・ビッグ・ロール・バンド、ダンタリアンズ・チャリオット1965年、マネーが1961年秋に結成したR&Bグループのズート・マネーズ・ビッグ・ロール・バンドにサマーズと共に加入して、ロンドンで活動。1967年、バンドは解散して、マネー、サマーズ、アレン、パット・ドナルドソン[注釈 3](ベース)は、サイケデリック・ロック・バンドのダンタリアンズ・チャリオットを結成。彼等はマネーとサマーズが共作した'The Madman Running Through The Fields'をシングルとして発表した[注釈 4][注釈 5][2]。 ジョン・メイオールダンタリアンズ・チャリオットは1968年4月に解散し、マネーは活動の拠点をカリフォルニアに移した。一方、アレンはロンドンに残り、1968年、ジョン・メイオール・アンド・ザ・ブルースブレイカーズを解散したジョン・メイオールが制作した最初のソロ・アルバム"Blues from Laurel Canyon"に参加して、元ブルースブレイカーズのミック・テイラーと共演した[3]。 ストーン・ザ・クロウズ1969年、マギー・ベル(ボーカル)、レスリー・ハーヴェイ[注釈 6](ギター)らを擁するスコットランドのストーン・ザ・クロウズに加入。1972年5月、ハーヴェイがスウォンジーでのコンサートのステージで感電死すると[注釈 7][4]、ストーン・ザ・クロウズは6月にスコットランド出身のジミー・マカロック[注釈 8]を迎えて活動を続けたが、1973年6月に解散した[3]。 フォーカス1973年10月、オランダのプログレッシブ・ロック・バンドのフォーカスに、3代目ドラマーとして加入した。フォーカスの当時のプロデューサーは、アレンが参加したブルースブレイカーズの"Blues from Laurel Canyon"をプロデュースしたマイク・ヴァーノンだった。ヴァーノンは、脱退したピエール・ファン・デル・リンデンの後任を探していたメンバーにアレンを推薦した。彼はフォーカス初の外国人メンバーになった。 フォーカスは、メンバーのヤン・アッカーマンが1973年の『メロディー・メーカー』誌の人気投票でギタリスト部門の首位に選ばれる[5]など、既に国際的な成功を収めていた。アレンを迎えたフォーカスは、約1か月間のアメリカ・ツアーを行なった後、1974年1月から3月まで、ヴァーノンのプロデュースでアルバム『ハンバーガー・コンチェルト』を制作して5月に発表した。6月から12月までワールド・ツアーが行なわれ、7月には初の日本公演が催された[6][注釈 9]。 しかし翌1975年2月、アレンは新作の制作が始まる直前に、突然、解雇を通告された[7][注釈 10]。 その後の活動1977年、ストーン・ザ・クロウズの同僚だったロニー・リーハイ(キーボード)の誘いで、ドノヴァンのアルバム『旅立ち』の制作に参加し、引き続いてリーハイ、ミラー・アンダーソン(ギター)らとドノヴァンの国内ツアーに参加。さらに終了後に、共にアメリカに渡った。彼等はドノヴァンと別れた後、ストーン・ザ・クロウズの解散後にポール・マッカートニーのウイングスで活動していたマカロック[注釈 11]と合流してザ・デュークスを結成するが、やがて離脱した。 ロサンゼルスに留まったアレンは、1980年、ロッド・スチュワートのアルバム『パンドラの匣』に客演。1982年には、メイオール、テイラー、フリートウッド・マックのジョン・マクヴィー〈ベース・ギター)に合流して、ジョン・メイオール・アンド・ザ・ブルースブレイカーズの再結成に参加して、1983年夏までライブ活動を行なった[注釈 12]。 1984年、テイラー[注釈 13]が音楽監督を務めるボブ・ディランのツアー・バンドに加入。テイラー、元フェイセズのイアン・マクレガン(キーボード)らと共に、ビル・グラハムがプロモートしてサンタナが第一部を務めるヨーロッパ・ツアーに参加し、ウェンブリー・スタジアムなどのステージに立った。同年、イギリスでの幾つかのコンサートの音源が収録された『リアル・ライブ』が発表された。 その後、パートナーと2人の間に生まれた幼い娘を連れてストックホルムに移り、音楽活動から遠ざかって生活していたが、2003年にマネーから電話を受け、彼が企画した「The British Legends of Rhythm and Blues UK tour」と称する約一か月間のツアー[注釈 14]に参加してドラムを叩いた。2004年には、マネー、ベル、アンダーソン、コリン・ホジキンソン(ベース)らとブリティッシュ・ブルース・クインテットを結成して、2011年までヨーロッパ各地のブルース・クラブ、カフェ、小劇場、フェスティバル等でライブ活動を行なった[注釈 15]。 引退2014年6月、ロングハムのクラブで、The Egg Roll Bandの一員としてマネーらと慈善事業のためのライブ活動を行ない、それをもって引退した。 2018年、自伝を出版。 ディスコグラフィズート・マネーズ・ビッグ・ロール・バンドダンタリアンズ・チャリオット
ジョン・メイオール
ジョン・メイオール・アンド・ザ・ブルースブレイカーズ
ストーン・ザ・クロウズ
フォーカス
ドノヴァンボブ・ディランThe British Blues Quintet Featuring: Maggie Bell, Zoot Money, Miller Anderson, Colin Hodgkinson, Colin Allen
参加アルバム
著書
脚注注釈
出典
引用文献
|
Portal di Ensiklopedia Dunia