ピーター・グリーン (ミュージシャン)
ピーター・グリーン(Peter Green、1946年10月29日 - 2020年7月25日)は、イングランド出身のミュージシャン、ギタリスト。ブルースロックの分野で活動し、フリートウッド・マックの創設メンバーとしても知られる。ローリング・ストーン誌選出「歴史上最も偉大な100人のギタリスト」2003年で38位[1]、2011年改訂版で第58位。 来歴![]() 10歳の頃からギターに興味を持ち、その後ハンク・マーヴィン、マディ・ウォーターズ、B.B.キング等に影響を受ける。 ピーター・バーデンス(後にキャメルを結成)のバンドである「The Peter B's」で、後の盟友ミック・フリートウッドと出会う。そして、1966年には、ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズにエリック・クラプトンの後任として加入する。クラプトンの後釜[2]として期待以上の反応に応えて、グリーンは名声を得る。フレディ・キングの「The Stumble」のカバーを収録した1967年のアルバム『ジョン・メイオールとピーター・グリーン/ブルースの世界 (A Hard Road)』をリリース、同年グループを脱退する。 1967年にリーダー・グループ、ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マックを結成、グリーンは演奏と作曲面でも中心的存在を担った。1968年にマイク・ヴァーノンのブルー・ホライゾン・レーベルとレコーディング契約、CBSレコードからファースト・アルバム『ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック』を発表する。同年発表のシングル曲「ブラック・マジック・ウーマン」は、後にサンタナのアルバム『天の守護神』(1970年)でカヴァーされた。1968年8月発表のセカンド・アルバム『ミスター・ワンダフル』には、後にゲイリー・ムーアやエアロスミスがカヴァーした「ストップ・メッシン・ラウンド」収録。1968年11月にリリースしたシングル「アルバトロス (あほうどり)」が翌年、全英1位のヒットとなる(2008年にはギター・アンビエント・ミュージックとして再評価されている)。また1970年のシングルEP「グリーン・マナリシ」は、後にジューダス・プリースト『殺人機械』(1978年)でカヴァーされた。 1970年にドラッグの使用がもとでフリートウッド・マックを脱退せざるを得なくなり、同年、全曲即興的なインストゥルメンタルであるソロ・アルバム『エンド・オブ・ザ・ゲーム』をリリースをして暫くシーンの一線から退くことになる。この頃に愛用していたギブソン・レスポールをゲイリー・ムーアに無料同然の値段で譲り渡した[3]。1970年代の大半をLSDの後遺症による統合失調症や幻覚が原因で活動を停滞させるが、1970年代後半にPVK Recordsとレコーディング契約、1978年にはミック・フリートウッドのソロ・アルバム『ビジター』への客演をきっかけにしてギタリストのスノウィー・ホワイトのサポートを受けてソロ活動を再開、アルバムをリリースする。1990年代からゲイリー・ムーアやピート・ブラウンらによるピーター・グリーンの楽曲の再評価を受けて本格的な演奏の復帰期間に入る。 1990年代に、ギタリストのナイジェル・ワトソン、コージー・パウエルやニール・マーレイ等と共にピーター・グリーン・スプリンター・グループを結成し、1997年に初のアルバムを発表。パウエルの交通事故死とマーレイの脱退によりバンドはメンバー・チェンジをせざるを得なくなるが、1999年にはグリーンにとって初となる日本公演も行い、充実したグループにより2004年まで活動を継続した。 ![]() 暫く音沙汰がなかったものの、2008年にはギターヒーロー3 レジェンド オブ ロックの発表の席にゲイリー・ムーアとともに参加。その後、2009年から2010年にかけてピーター・グリーン・アンド・フレンズとして、イギリス、ドイツおよびオーストラリア・ツアーを行った。 ディスコグラフィソロ・アルバム
ピーター・グリーン・スプリンター・グループ
脚注
外部リンク
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