ケン・ルーカス (プロレスラー)
ケン・ルーカス(Ken Lucas、本名:Kenneth Lucas、1940年8月20日 - 2014年8月6日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。アリゾナ州メサ出身[3]。 技巧派のベビーフェイスとして、メキシコ湾岸のガルフ・コースト(アラバマおよびフロリダ北西部)やテネシーなど、南部のローカル・テリトリーを主戦場に活動した[1][4]。 来歴1960年、地元のアリゾナでデビュー。1962年5月11日にはフェニックスにてマイク・デビアスと組み、エル・グラン・ロザリオ&ティト・モンテスからアリゾナ版のNWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座を奪取している[5]。 1964年より、長年の主戦場となるガルフ・コースト・チャンピオンシップ・レスリングに参戦して、5月27日にフラッグシップ・タイトルのNWAガルフ・コースト・ヘビー級王座を獲得[6]。以降、1978年に団体がサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング(SECW)に吸収されるまで12回に渡って戴冠した[6]。 1960年代は主にヒールのポジションで活動し、テキサス西部のアマリロ地区ではドリー・ファンク・シニア、ドリー・ファンク・ジュニア、ワフー・マクダニエル、ティム・ウッズらと対戦[7]。1965年1月21日にはスプートニク・モンローをパートナーにアマリロ版のNWA北米タッグ王座を獲得した[8]。 主戦場のガルフ・コースト地区では、1969年5月14日にディック・スタインボーンを破り、空位となっていたNWAアラバマ・ヘビー級王座の新王者となる[9]。以降はベビーフェイスに転じ、同地区の主力選手となって活躍[1]。リップ・タイラー、エディ・サリバン、ボブ・スウィータンとも抗争した[10]。1973年には、10月12日にアラバマ州ドーサン、11月6日に同州モービルにて、ジャック・ブリスコの保持していたNWA世界ヘビー級王座に連続挑戦している[11][12]。 並行してテネシーのNWAミッドアメリカ(ニック・グラス主宰のグラス・レスリング・エンタープライズ)でも活動し、若手ヒール時代のジェリー・ローラーをはじめ、国際プロレスから海外修行に出ていた大位山勝三(グレート・フジ)とデビル紫(タロー・ムラサキ)とも対戦[13]。1977年2月13日にはラシアン・ストンパーからNWAミッドアメリカ・ヘビー級王座を奪取した[14]。 他地区では、1978年2月16日にカンザス州カンザスシティにおいて、アレックス・スミルノフを破りNWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座を獲得[15]。同年10月19日にはフロリダ州タンパでマイク・グラハムと組み、"オリジナル" ハリウッド・ブロンズ(ジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ)からNWAフロリダ・タッグ王座を奪取している[16]。 ガルフ・コースト地区を吸収したSECWにも継続参戦して、モンゴリアン・ストンパー、クラッシャー・ブラックウェル、デビッド・シュルツ、トニー・チャールズらと対戦[17]。1978年12月1日にはベビーフェイス時代のケビン・サリバンをパートナーに、デニス・コンドリー&フィル・ヒッカーソンからNWAサウスイースタン・タッグ王座を奪取。ボブ・ループ&ボブ・オートン・ジュニアとも同王座を争った[18]。 NWAミッドアメリカを吸収したCWAではビル・ロビンソンのパートナーを務め、1980年2月17日にジ・アサシンズ(ランディ・コリー&クルト・フォン・ヘス)を破り、AWAの認定タイトルとなった南部タッグ王座を獲得[19]。弟子格であるリッキー・モートンとのコンビでも、ラリー・レイザム&ビル・アーウィンらを下して同王座を度々獲得した[19]。 主戦場のSECWでは1981年2月14日にロン・バス、3月16日にジミー・ゴールデンを破り、ガルフ・コースト・ヘビー級王座の後継タイトルであるNWAサウスイースタン・ヘビー級王座を獲得[20]。同年5月11日にはミスター・サイトーからNWAアラバマ・ヘビー級王座を奪取、1969年の初獲得以来、通算9回目となる同王座への最後の戴冠を果たした[9]。 1982年はモートンとの師弟コンビでサンアントニオのサウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリングに転戦して、ジノ・ヘルナンデス&タリー・ブランチャードのダイナミック・デュオを相手に、サウスウエスト・タッグ王座を巡る抗争を展開[21]。ストンパー&スミルノフ、キラー・ブルックス&ボビー・ジャガーズ、ザ・グラップラーズ(レン・デントン&トニー・アンソニー)などのチームとも対戦した[22]。 1983年にSECWへ戻り、3月13日にフロリダ州ペンサコーラにてリック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座に挑戦[23][24]。3月21日にはアラバマ州バーミングハムにてボブ・アームストロングを破り、NWAサウスイースタン・ヘビー級王座に返り咲いている[20]。 11月28日には同所にてリップ・ロジャースからUSジュニアヘビー級王座を奪取した[25]。 セミリタイア後の1984年8月から1985年7月にかけては、カナダのウィニペグにおけるAWAのTVテーピングに時折出場。ベテランのジョバーとして、ロード・ウォリアーズ、ファビュラス・フリーバーズ、ラリー・ズビスコらと対戦した[26]。その後は1996年12月1日と1997年2月22日、ガルフ・コーストにてロバート・ギブソンが主催したイベントに登場した[26]。 晩年も、主戦場だったガルフ・コーストのフロリダ州サンタローザ郡に居住していた[1]。2014年8月6日、73歳で死去[1]。 得意技獲得タイトル
脚注
外部リンク
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