オースティン・バーグストロム国際空港
オースティン・バーグストロム国際空港(オースティン・バーグストロムこくさいくうこう、英: Austin-Bergstrom International Airport)は、アメリカ合衆国テキサス州オースティンにある国際空港である。オースティン市街中央部から南東に8kmに位置する。1999年5月23日に旅客業務を開始した。 歴史第二次世界大戦中の1942年、オースティン市は軍用飛行場用地を購入し、アメリカ合衆国連邦政府に貸出した。ただし、飛行場が不要となった時、返還されることを条件としていた。1942年9月19日、陸軍飛行場が完成した。名称はフィリピンのクラーク飛行場で1941年に戦死した同郷軍人ジョン・オーガスト・アール・バーグストロムに敬意を表して1943年にバーグストロム飛行場に変更された。1947年にアメリカ陸軍と空軍の分離の後、バーグストロム空軍基地となった。[2] 戦後、オースティン市は手狭なロバートミラー市営空港の代替となる新空港を検討し始めた。1971年、アメリカ連邦航空局はオースティンとサンアントニオの共同の空港の建設を提案したが、オースティン市は提案を断った。その後、1976年にオースティン市はバーグストロム空軍基地を共同使用する提案を空軍に提出したが、空軍は1978年に提案を拒否した。[2] 1987年、有権者はメイナーの近くに新空港を建設する計画を住民投票で承認した。市は空港用地の買収を始めたが、環境への影響を心配する住民やシエラクラブが訴訟を起こした。[3] 1991年、幸いにも軍事基地再編閉鎖委員会のリストにバーグストロム空軍基地が含まれ、基地の敷地はオースティン市に返還された。このため、メイナーの新空港計画は中止となった。 開業1999年5月23日、オースティン・バーグストロム国際空港は開業した。ロバートミラー市営空港は閉鎖され、空港コードAUSは新空港に受け継がれた。 バーバラ・ジョーダン・ターミナルと呼ばれているメインターミナルは本来18個のゲートがある4.6万平方メートルの建築面積で計画されたが、建設中に設計が変更され6万平方メートルに拡大された。完成したターミナルの第2ゲートから第25ゲートまでのゲートはボーディング・ブリッジを使用し、第1ゲートはタラップを使用した。[4] 近年開業当初はダラスやヒューストンのハブ空港を結ぶ便が主体であったが、オースティンの人口増加と経済的な台頭を反映して、航空会社は直行便の運航を増やした。このため、大型機を受け入れる設備が必要となった。 2014年、ブリティッシュ・エアウェイズはヒースロー空港行きの運航を開始した。この航路は空港初の大西洋横断の航路になった。[5] ターミナルの最初の拡張プロジェクトは2015年の夏に完了した。拡張は到着階に拡大された税関と入国管理施設、2つの手荷物受ベルトを追加し、出発階に拡大されたセキュリティチェックポイントも追加した。さらに2019年に「ターミナルイーストインフィル」と呼ばれたプロジェクトで9個のゲートを増設し、ゲートは合計34個になった。 主な就航航空会社と路線オースチン・バーグストロム国際空港に航空会社20社でカナダ、イギリスのロンドンを含む67都市を結っている。[6] 空港へのアクセスオースティン・バーグストロム国際空港はテキサス州道71号線という高速道路と直結しており、タクシーや自家用車でのアクセス性が高い。また、キャピタルメトロポリタン交通局(キャップメトロ)のバス路線「20 Manor Road / Riverside」は毎15分出発しており、空港やオースティンの中央とを結ぶ[9]。2030年、空港にある駅はメトロレールの青い線の終点は期待される[10]。 空港の今後2018年12月、空港当局は全体計画を発刊した。全体計画は次の20年を示す。[11] 第1フェーズバーバラジョーダンターミナルの北には発券、セキュリティ、手荷物受取所のための新しい建物が建てられ、ターミナルの南に20個のゲートがある衛星コンコースも建てられる。さらに、17R/35L滑走路の東に並行している誘導路、「高速出口誘導路」が建てられる。 脚注
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