インディアナポリス国際空港
インディアナポリス国際空港(英: Indianapolis International Airport)は、アメリカ合衆国のインディアナ州インディアナポリスにある国際空港。空港コードはIND。インディアナ州にある最大の空港である。貨物輸送のフェデックス・エクスプレスのハブ空港であり、アレジアントエアの焦点都市でもある。 かつては、USエアウェイズの準ハブ空港だった(同社はアメリカン航空に吸収された)。国際線は少ないが、各航空会社のハブ空港からインディアナポリス国際空港までは直行便が出ている。 歴史1931年に市営空港として開設され、1944年に名前をWeir Cook市営空港に変更した。Harvey Weir Cookは、ウィルキンソン(インディアナ州)出身の陸軍パイロットで第1次世界大戦と第二次世界大戦でエースパイロットとして活躍した。彼は1917年にアメリカ陸軍航空隊に入隊し、第1次大戦で隊長となり、公式には7機の敵機を撃墜したとされている。第2次大戦中は大佐で、ニューカレドニア上空においてP-39(エアラコブラ)による若いパイロットの訓練中の事故により1943年に死亡した。 1962年、インディアナポリス空港局IAAが創設され、空港の所有、運営をすることになった。インディアナポリス市長、マリオン郡・ヘンデリック郡・ハミルトン郡の代表者が8人の常任委員を任命する。 1957年に旅客ターミナルが建設された。以来、改修と拡張を数多く行った。なかでも大規模なものは1968年(コンコースA&B)、1972年(コンコースD)、1987年(コンコースCと駐車場建物の追加)である。全体は、それらの複合施設となった。 1976年に国際線の施設が新設され、現在の名称に変更された。 1980年代後期から1990年代前半の間は、旧USエアウェイズの準ハブ空港として機能した。中西部の都市と同様に西海岸やフロリダからの直行便があり、1日146の出発便があった。USエアウェイズは、空港の旅客数の半数を占める主要な航空会社であった。1990年代後半は、USエアウェイズは実質的にはインディアナポリス以外からの輸送は減っていた。 1990年代後半から2000年代初頭にかけては、インディアナポリス国際空港は、ATA航空および子会社のシカゴ・エキスプレスの焦点都市となった。しかし、2004年に、ATAホールディングス及びその子会社は連邦倒産法第11章の適用を申請したため、インディアナポリス便は大幅に削減され、2006年にはすべての便が廃止された。空いたATA航空のスペースには、ノースウェスト航空が入居した。 1994年には、民間のイギリス空港会社BAAが空港の運営を10年契約で行うことになった。 この契約は、後に3年間延長された。しかし、BAAの申し出により、2007年12月31日をもって民間運営は終了した。空港はIAAの運営に戻された。 2008年、老朽化したターミナルに代わる新旅客ターミナルが建設された。旧ターミナルから離れた場所で、高速道路に直結している。旧ターミナルは解体された。 空港施設新ターミナル
航空会社将来構想旧施設の利用方法については、まだ決定されていない。新ターミナルには、LRTを敷設する構想もあり、導入空間を確保しているものの具体的な計画は公表されていない。 旧ターミナルコンコース A
コンコース B
コンコースC
コンコース D
空港アクセス到着ロビーを出てすぐの場所には、タクシー乗り場と一般車用のロータリーとなっている。中層階の動く歩道がある渡り廊下をはさんだところに、駐車場やレンタカーのカウンターおよびエコノミー駐車場へのシャトルバス、ホテルへのシャトルバス、路線バス・IndyGo Green Line、都市間輸送バスの乗り場がある。各シャトルは出発階に到着するが、出発は、レンタカーのカウンターなどがある1階からである。ペンチなどもそこにあり、リムジンカーや空港連絡バスの待合所ともなっている。一部レンタカーは、空港内に車が用意されるようになった。また、ロータリー付近の混雑緩和のため、携帯電話等で連絡を受けてからロータリーへ向かうための待機用の駐停車スペースが敷地内に用意されている。
脚注
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