ウチェナ・エメドル
ウチェナ・エメドル(Uchenna Emedolu、1976年9月17日 ‐ )は、ナイジェリア・アナンブラ州出身で短距離走を専門にしていた元陸上競技選手。100mで9秒97、200mで20秒31の自己ベストを持つ。2004年アテネオリンピック男子4×100mリレーの銅メダリストである。 経歴2001年8月のエドモントン世界選手権に出場すると、男子100mは1次予選を10秒18(0.0)の全体2位、2次予選は風速計の故障で公認記録にならなかったものの10秒06の好タイム(全体10位)で突破し、世界大会の個人種目で初のセミファイナリストになった。準決勝では組4着までに入れば決勝に進出できたが、結果は10秒29(-1.7)の組5着(当時)に終わり[注 1]、組4着とは0秒05差で決勝進出を逃した[1]。男子200mでもセミファイナリストとなったが、決勝進出をかけた準決勝は20秒40(+0.7)の組7着で敗退した[2]。アンカーを務めた男子4×100mリレーは準決勝で39秒05の組5着(当時)に終わり[注 1]、組4着とは0秒08差で決勝進出を逃した[3]。 2002年7月のコモンウェルスゲームズに出場すると、男子100m決勝で10秒11(+0.2)をマークしてキム・コリンズ(9秒98)に次ぐ2位に入り、主要国際大会で初のメダルとなる銀メダルを獲得した。 9月のワールドカップにアフリカ大陸代表として出場すると、男子100mは10秒06(-0.3)の自己ベスト(当時)をマークしてキム・コリンズに同タイム着差ありで競り勝ち[4]、100mでは男女通じて初のアフリカ人王者となった[5]。男子4×100mリレーではアフリカチーム(イドリッサ・サヌー、エメドル、アジズ・ザカリ、フランク・フレデリクス)の2走を務め、38秒63をマークしての3位に貢献した[6]。 2003年8月のパリ世界選手権に出場すると、男子100mは前回大会に続いてセミファイナリストになり、準決勝を10秒15(+0.5)の組3着(当時)で突破[注 1]。オリンピックと世界選手権を通じて初のファイナリストとなったが、決勝は10秒22の8位(当時)に終わった[注 2][7]。男子200mでも前回大会に続いてセミファイナリストとなると、準決勝を20秒44(0.0)の組4着で突破し、100mと同じくファイナリストとなったが、決勝は20秒62(+0.1)の8位に終わった[8]。男子4×100mリレーでも決勝に進出すると、決勝で2走(オルソジ・ファスバ、エメドル、Musa Deji、デジ・アリウ)を務め、38秒89をマークしての5位(当時)に貢献した[注 3][9]。 10月のアフリカ競技大会に出場すると、男子100mの決勝では自身初の9秒台となる9秒97(+0.6)をマークしたが、デジ・アリウに0秒02差で敗れ銀メダルに終わった。男子200m決勝では20秒42(-0.9)をマークし、フランク・フレデリクス(20秒43)、アジズ・ザカリ(20秒51)らを破り初優勝を成し遂げた。 2004年8月のアテネオリンピックに出場すると、男子100mはセミファイナリストになるも10秒35(-1.6)の組8着に終わり決勝には進めなかった[10]。男子4×100mリレーでは2走(オルソジ・ファスバ、エメドル、アーロン・エベレ、デジ・アリウ)を務め、予選を38秒27の全体2位で突破すると、決勝では38秒23をマークしてイギリス(38秒07)、アメリカ(38秒08)に次ぐ3位に入り[11]、この種目では1992年バルセロナ大会以来のメダルとなる銅メダル獲得に貢献した。 人物・エピソード1997年後半まで陸上とサッカーを掛け持ちしていた。1998年に完全にサッカーに集中するためマルタに渡りサッカークラブの入団テストを受けるも良い結果は得られず、1999年に帰国したエメドルはサッカーのスパイクを売り払い陸上に集中することを決めた[5]。 自己ベスト記録欄の( )内の数字は風速(m/s)で、+は追い風を意味する。
主要大会成績
脚注注釈
出典
外部リンク
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