リエーティ
この項目では、イタリアの都市について説明しています。作曲家、リエーティについては「ヴィットリオ・リエティ 」をご覧ください。
リエーティ (伊 : Rieti ( 音声ファイル ) )は、イタリア共和国 ラツィオ州 にある都市で、人口約45,000人の基礎自治体 (コムーネ )。リエーティ県 の県都 である。
地理
位置・広がり
リエーティ県 中部に位置するコムーネ。テルニ から南東へ約25km、ラクイラ から西へ約45km、アヴェッツァーノ から北西へ約63km、州都・首都ローマ から北北東へ約63kmの距離にある[ 4] 。
隣接コムーネ
隣接するコムーネは以下の通り。括弧内のTRはテルニ県 所属を示す。
気候分類・地震分類
リエーティにおけるイタリアの気候分類 (it ) および度日は、zona E, 2324 GGである[ 5] 。
また、イタリアの地震リスク階級 (it ) では、zona 2A (sismicità media) zona 2B (sismicità media) に分類される[ 6] 。
歴史
古代
ローマ時代の橋の遺跡(紀元前3世紀)
古代にはレアテ (Reate ) と呼ばれ、ローマ人 が勃興するより以前からサビニ人 の主要な都市のひとつであった。
伝説によれば、ローマの建国者ロムルス はサビニの女たちの略奪 を行った。ローマ人とサビニ人の間に戦争が起こったが、最終的にサビニの女たちが両軍の間に入って停戦した。サビニ人の王ティトゥス・タティウス がロムルスとローマを共同統治することとなり、ローマ人とサビニ人の共存の歴史が始まった。サビニ人はローマのクイリナーレ の丘に移り住んだという。
紀元前290年 、マニウス・クリウス・デンタトゥス に率いられたローマによって、サビニ人の反抗は最終的に平定された(第三次サムニウム戦争 )。レアテは、アドリア海 からアペニン山脈 を越えて塩をローマに運ぶ道(サラリア街道 )を扼する、初期のイタリア交通の要衝となった。レアテやアミテルヌム (英語版 ) (現在のラクイラ近郊にあった都市)の多くの土地が没収されてローマ人に分配された。サビニ人には投票権を除くローマ市民権 が与えられた。紀元前268年にサビニ人は完全な市民権を獲得し、新たに相殺された2つの部族(トリブス) (Roman tribe ) 、すなわち Velina と Quirina に組み込まれた。
この地域にはヴェリーノ川 (Velino ) が広大な湖を形作っていたが、クリウス・デンタトゥスは、ヴェリーノ川からネラ川 (Nera (Italy) ) に水を落とすことで湖を干上がらせ(このときに作られたのがマルモレの滝 (英語版 ) である)、肥沃な平野を出現させた。ローマの慣習に従い、土地は正方形に区画され分配された。レアテの町も典型的なローマの都市設計(たとえば、二つの直交する道路が都市の幹線となるなど)によって再編と開発を受け、強力な防壁が築かれた。ヴェリーノ川を越える石橋が建設され、またサラリア街道からレアテの南門に直接荷物を運び込むための高架橋が築かれた。
ローマ時代のレアテには、その肥沃な土地や有用な資源、特徴的な環境(浮島や、地下に空洞のある地形など)のために、多くのラテン語文献が言及している。たとえばキケロ は、湖の排水後に生じたレアテとインテラムナ(現在のテルニ )との緊張を描写しており、また友人がこの平野に所有する邸宅(ヴィッラ )についても言及している。
サビニ人に起源を持ちローマ帝国で発展した家門のひとつにフラウィア氏族 (Flavia (gens) ) がある。この家門出身で皇帝となったティトゥス・フラウィウス・ウェスパシアヌス (9年 - 79年 、フラウィウス朝 創始者)は、レアテで生まれた。
レアテ生まれのマルクス・テレンティウス・ウァロ (紀元前116年 - 紀元前27年 。「レアテのウァッロ」とも呼ばれる)は、詩人・著述家として著名であり、博学の父として知られる。
中世
中世の城壁
西ローマ帝国 の崩壊後、リエーティは蛮族による破壊を受けたが廃絶することはなく、ランゴバルド人 による支配(ランゴバルド王国 )のもとではガスタルド (Gastald ) が置かれ、スポレート公国 の一部となった。フランク人 の支配のもとでは、伯爵領の首府であった。9世紀から10世紀にかけてはサラセン人 によって、1149年 にはノルマン人 のシチリア王 ルッジェーロ2世 によって略奪を受けた。
都市はローマ のコムーネの助けを借りて再建された。1198年 からは独自のポデスタ (英語版 ) を置いた自由都市で、グエルフ 寄りであった。
歴代教皇もリエーティにしばしば滞在しており、重要な歴史的できごとも当地を舞台にしている。1185年、シチリア女王コスタンツァ と神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世 が当地で結婚。1234年には教皇グレゴリウス9世 によってドミニコ が列聖された。1289年 には教皇ニコラウス1世 によって、カルロ2世 がプッリャ・シチリア・エルサレム王としての戴冠を受けている。
中世後期以後
教皇がアヴィニョン に移動すると(アヴィニョン捕囚 )、リエーティはナポリ王国 によって征服され、都市内部では教皇派と皇帝派 の抗争が激化した。1354年 、枢機卿アルボルノス (Gil Álvarez Carrillo de Albornoz ) によってリエーティは取り戻され、その後教皇領 内でアルファーニ家 (Alfani) の封建支配下に置かれた。リエーティ周辺の平野の排水は数世紀にわたって続いたが、これは隣接するテルニ との対立につながった。
近現代
リエーティは、1816年から1860年まで、教皇領リエーティ管区 (it:Delegazione apostolica di Rieti ) の首府であった。
1860年のイタリア統一 後、リエーティを中心とする地域はペルージャ県 (ウンブリア地方 )の一部に組み込まれ、リエーティ郡 (it:Circondario di Rieti ) が置かれた。1923年、リエーティ郡はローマ県(ラツィオ地方 )に編入された。1927年1月2日、リエーティ郡と、ラクイラ・デッリ・アブルッツォ県 (アブルッツォ地方 )の一部であったチッタドゥカーレ 郡 (it:Circondario di Cittaducale ) を併せ、リエーティを県都とするラツィオ地方の新たな県リエーティ県 が設置された。
地震
2016年の地震 で大きな被害を受け、特にアマトリーチェ で壊滅状態である。
行政
分離集落
リエーティには、以下の分離集落 (フラツィオーネ)がある。
Castel San Benedetto, Case San Benedetto, Casette, Castelfranco, Cerchiara, Chiesa nuova, Cupaello, Lisciano, Lugnano, Maglianello, Moggio, Piè di Moggio, Poggio Fidoni, Piani Poggio Fidoni, Poggio Perugino, San Filippo, Piani San Filippo, San Giovanni Reatino, Sant'Elia, Piani Sant'Elia, Setteponti, Vaiano, Vazia
姉妹都市
「太陽の祭り」(Festa del Sole )での「ワイン樽乗りレース」
「タライ乗り競走」を行う伊東市に対して、「ワイン樽乗りレース」を行うリエーティ市側が1980年に友好都市提携を打診。民間での交流が始まり、1981年に伊東観光協会と太陽の祭り委員会が姉妹関係を結ぶ。1985年、友好都市協定書調印[ 7] 。
脚注
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
リエーティ に関連する
メディア および
カテゴリ があります。
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