アイドルレスラー
アイドルレスラーとは、アイドル的な芸能活動を行う女子プロレスラー。また単に容姿の美しさやスター性などから総称される場合もある。 アメリカのプロレス団体「WWE」では、総称して「ディーヴァ(女神)」と呼ばれている。 →「ディーヴァ」も参照
概要1974年に女子プロレスデビューしたマッハ文朱が先駆けとされる[1][2]。元々マッハはアイドル歌手志望だったが、オーディション番組で落選しプロレス入りした。そのアイドル性から歌手としてレコードも発売するなどしてそれまでの女子プロレスの風景を大きく変え、短い活動期間ながら団体の隆盛に大きく貢献した。 1976年にジャッキー佐藤とマキ上田により結成されたビューティ・ペアは「歌って戦うアイドルコンビ」の元祖として人気を博して女子プロレスのブームを呼び、同年発売のシングル『かけめぐる青春』は大ヒット曲となった[3]。 1978年にアイドル歌手からプロレスへ転向したミミ萩原は人気を獲得し「アイドルレスラー」と呼ばれ、以降は写真集やレコード発売などアイドルと重なる芸能活動を行う選手が誕生した。 1984年8月に長与千種とライオネス飛鳥により結成されたクラッシュギャルズは『炎の聖書』などのレコードをリリースし、ビューティ・ペア以来のブームを作り出し、この頃から女子プロレスラーもアイドル路線へと進むようになった[2]。 同年に立野記代と山崎五紀により結成されたジャンピング・ボム・エンジェルス(JBエンジェルス、結成時はフレッシュ・コンビ)は美女コンビとしてポストクラッシュの座を確立し、日本のみならずアメリカのWWFでも活躍を見せた[4]。 1986年に旗揚げされたジャパン女子プロレスはおニャン子クラブをプロデュースしていた秋元康をアドバイザーに迎えて「プロレス版おニャン子クラブ」をコンセプトにキューティー鈴木[2] らのアイドルレスラーを多くデビューさせた。 1988年にデビューした井上貴子はおニャン子クラブオーディションで2次審査まで進んだ経歴を持ち、デビューしてすぐアイドル的人気が爆発して写真集やCDなど芸能活動も積極的に行っていたことから、彼女を「元祖アイドルレスラー」とする声もある[5]。 2010年代からのグループアイドルブームを受け、アイドルグループを卒業しプロレスに転向した選手、アイドルグループに在籍しながらプロレスラーとしても活動する選手など、アイドル業界側からのアプローチも増えている。 1980年代以降1980年代以降の主なアイドルレスラーとデビュー年の一覧。 1980年代
1990年代2000年代
2010年代
2020年代
アイドルレスラーを扱った作品脚注注釈
出典
関連項目
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