M47 (天体)
概要肉眼でも冬の銀河の中に簡単に発見でき[4]、ぼんやりとかすんで見える。双眼鏡で明るい星が3角形を形作っているのがわかり、となりのM46と全く印象の異なった姿との対照が面白い。色が違った星が口径10cmの望遠鏡から見え始める。口径20cmの望遠鏡で見たジョーンズは明るい星の配列がオリオンのミニチュアだと表現した。 M46とM47はすぐ隣りにある星団で、規模も同程度であるため、南天の二重星団[5]と表現されることもある。M47は明るい星がバラバラとあるので、荒々しい印象から「男性的」と表現されることもある。 1度北には散開星団NGC 2423、さらに2.5度北に散開星団Mel 71があり、ここまで200mm望遠レンズで同一視野に入れられる[4]。 観測史1654年以前にジョヴァンニ・バッティスタ・オディエルナが発見しているが、1984年までその業績は知られていなかった[2]。 シャルル・メシエが1771年2月19日に独立発見し、隣のM46よりも明るい星団として記録したが、メシエはM47の座標を計算した際に符号を誤るというミスを犯した[2]。そのため、1959年に T.F. Morris がその誤りを正すまで失われた天体であった[2]。M47に関するメシエのミスについては、「1934年にオズワルド・トーマスにより、メシエが位置測定の時に+と-の記号を取り違えて計算したことが確認された[4]。」とする説もあるが、これはM48と混同したものであるとされる[2]。 メシエがミスをした結果、ウィリアム・ハーシェルが1785年2月4日に独立して発見し、H VIII.38 という符号を付けている[2]。なお、メシエのミスにもかかわらず、カロライン・ハーシェルは1783年までに少なくとも2回M47を観測し、M47と認識している[2]。 出典
参考文献
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