Eastern youth
eastern youth(イースタンユース)は、日本のスリーピースロックバンド。略称「ey」。 メンバー
旧メンバー
活動1988年北海道札幌市にて結成。前身は「スキャナーズ」というバンドで、ベースが三橋に交代したのを機に改名した。当時はSKINS・Oiバンドで、バンド名表記も大文字の「EASTERN YOUTH」だった。上京に際して三橋が脱退し、いったん吉野・田森の2人となったが、ギタリストを目指し上京していた二宮と知り合った吉野が「ギターが弾けるならベースも弾けるだろ」と強引に勧誘し、二宮がベースで加入した。 自主レーベル「坂本商店」を立ち上げ、精力的にライブを行い、1994年からは自主企画「極東最前線」を開始した。またカーシヴ、アット・ザ・ドライヴインなどの北米ツアーに同行するなど、日本国外での活動も行うようになった。2003年秋のアメリカツアーでは、移動中にメンバーの乗っていた車が高速道路上で横転する事故を起こすも、機材が破損したのみでメンバーは軽傷で済んだという一件もあった[14]。 2005年より活動休止のfOULを残して坂本商店を離れ、自主レーベル「裸足の音楽社」を設立した。所属レコード会社はトイズファクトリー、キングレコード、バップを経て2015年現在は「裸足の音楽社」。 2009年9月、ツアー期間中に吉野が心筋梗塞で倒れ、緊急手術を受けた。一命は取りとめたもののツアーの残りの公演はキャンセルされ[15]、吉野が復帰した2010年春に改めてツアーを行った。 2015年2月2日に二宮が「アルバム『ボトムオブザワールド』を作り終え、eastern youthでできることは全てやりきったと実感した」との理由で脱退を表明[16]し、同アルバム発売後のツアー終了をもってバンドを離れた。二宮の後任として同年9月に村岡が加入し[9]、9月5日に「街の底」名義で出演したBAYCAMP 2015が新たなメンバー編成による初ライブとなった[8]。 音楽性漢語や近代詩風の表現を用いた歌詞とエモーショナルなサウンドが特徴。特に絶叫するかのような[要出典]吉野の歌唱はクレジット上で「ボーカル」ではなく「ボイス」と表記される。吉野が自らが影響を受けたと公言する音楽家は、キャンディーズ、和田アキ子にはじまり、新旧・メジャーマイナーを問わず極めて多岐に亘る。また影響を受けたと公言する作家は、坂口安吾、太宰治、梅崎春生、木山捷平、島尾敏雄など、これまた多岐に亘る[17]。 一般的にはエモと呼ばれている[2]が、吉野はインタビューやブログで「エモ」と呼ばれることを否定している[18][19]。 初期の頃は右翼的思想を持った「スキンヘッズ」の影響を受けていたが、吉野曰く「知れば知るほど矛盾があるし、より良い世の中のために動いているのに全然より良く感じられなかった」「俺は国家に忠誠なんて誓えない。『戦争に行け』って言われたって行きたくないし、国家のためには闘わない」という考えを表明している[20]。 交流向井秀徳(ナンバーガール、ZAZEN BOYS)など多くのロックミュージシャンが彼らからの影響を公言している。吉野自身はナンバーガールの楽曲にeastern youthの影響は感じられないとしつつも、そのオリジナリティーを「ブッチャーズとfOULで打ち止めかと思っていたけど、もう一個刺客が出て来た」と評した[21]。向井はアルバム『ボトムオブザワールド』にゲスト参加もしている。 同じ北海道出身のbloodthirsty butchersおよびfOULとは親交が深く、「極東最前線」を含む数多くのライブで共演している。吉野自身大好きなバンドとしてこの2つのバンドを頻繁に挙げ、活動休止中のfOULに1人のファンとして呼びかけ、後述のオムニバスアルバム『極東最前線2』に参加してもらうなどしている。「極東最前線」の開催数は80回を超え(2012年4月現在)、bloodthirsty butchers, あぶらだこ、怒髪天、ハスキング・ビー、小谷美紗子、タテタカコ、ジミー・イート・ワールド、カーシヴなど、国を問わず様々なアーティストをゲストとして迎え入れている。 ディスコグラフィーシングル
アルバムオリジナルアルバム
ベストアルバム
映像作品
参加作品
タイアップ一覧
ヘビーローテーション/パワープレイ
テレビ
主なライブワンマンライブ・主催イベント
出演イベント
関連書籍
脚注注釈出典
外部リンク
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