D・J・フォンタナ
D・J・フォンタナと通称される、ドミニク・ジョセフ・フォンタナ(Dominic Joseph Fontana、1931年3月15日 - 2018年6月13日)は、14年間にわたってエルヴィス・プレスリーのドラマーを務めたことで知られる、ルイジアナ州シュリーブポート出身のアメリカ合衆国のミュージシャン。フォンタナは、プレスリーがRCAレコードで吹き込んだ曲のうち、460曲以上に演奏を残した。 「DJ」と通称されたフォンタナは、カントリー音楽を流すラジオ番組『ルイジアナ・ヘイライド (Louisiana Hayride)』に、毎週土曜日の放送に登場する専属ドラマーとして雇われた。1954年10月、フォンタナはプレスリーのためにドラムを演奏するよう雇われ、そこからその後足掛け15年に及ぶ両者の関係が始まった。フォンタナは、NBCのテレビ特別番組『ELVIS』にも出演して演奏した。 フォンタナは、当初サム・フィリップスが集めた、スコティ・ムーア(リードギター)、ビル・ブラック(ベース)、エルヴィス・プレスリー(リズムギター)から成る「ザ・ブルームーン・ボーイズ (The Blue Moon Boys)」と名乗るドラマーのいないバンドに、後から遅れて加わった。このバンドは、「ハートブレイク・ホテル」、「ハウンド・ドッグ」、「冷たくしないで (Don't Be Cruel)」、「監獄ロック」など、エルヴィス・プレスリーの1950年代におけるヒット曲の大部分において(ときにはピアノの演奏や、ザ・ジョーダネアーズのバッキング・ボーカルも入れつつ)演奏を務め、録音を行なった。このバンドは広く各地をツアーし、何度もテレビ番組にも出ており、1956年と1957年には『エド・サリヴァン・ショー』にも出演した。
このバンドは、1958年に解散となったが、フォンタナとプレスリーは、その後も1960年代を通して定期的に共演し、録音を行なっていた。その間、時にはムーアが加わることもあった。ムーアとフォンタナも共演を長く続けており、2002年には、ポール・マッカートニーを加えて「ザッツ・オール・ライト」を録音した。1958年以降、ブラックは彼らとの共演をすることはないまま、1965年に死去した。 1983年、フォンタナは、プレスリーと共演していた当時について、写真を多く用いた書籍『D. J. Fontana Remembers Elvis』を出版した。
2018年6月13日、テネシー州ナッシュビルの自宅で死去。AP通信は妻の話として、就寝中に亡くなったと伝えた。87歳没[3]。 脚注
外部リンク |