パリ・20区の位置
パリ・20区の位置
パリ の20区 (20く、仏 : 20e arrondissement de Paris ) は、フランス の首都 ・パリ市を構成する20の行政区 のひとつである [ 1] 。第20区、パリ20区ともいう。市の東部にあり、セーヌ川 の北側に位置している。
概要
パリ の20区は、市の東部にある行政区 。「メニルモンタン区 (Arrondissement de Ménilmontant )」と呼ばれることもある [ 2] 。セーヌ川 の北の地域にある。東には、ペリフェリック (パリ環状道路)に沿う形で市の境界線が敷かれており、南東の一部がヴァル=ド=マルヌ県 に接しているほかはすべてセーヌ=サン=ドニ県 に接している。人口は182,952人 (1999年)で、20区の中では3番目に多い(人口の推移等詳細については後述 )。
区の名称は、市の中央部から時計回り に螺旋 を描くようにして各区に付けられた番号を基にしており、当区はその20番目にあたることから、「20区」と名づけられた。区内には、コロー 、ショパン 、ビゼー 、プルースト 、マリア・カラス 、モディリアーニ 、モリエール 等の多くの著名人が眠るペール・ラシェーズ墓地 のほか、ベルヴィル公園 、国立コリーヌ劇場 などがある。
地理
パリ・20区の概略図
Rue de Ménilmontant avec vue sur Paris et Beaubourg .(メニルモンタン通りとパリ4区ポンピドゥー・センター )
ベルヴィル公園
20区は、パリの東部に位置している。セーヌ川 の北の地域にある [ 3] 。面積は、5.98 平方キロメートル。
北は、同じパリの行政区 である19区 に接し、南は12区 に接している。東は、ペリフェリック に沿う形で市の境界線が敷かれており、セーヌ=サン=ドニ県 の各自治体 、北東はル・プレ=サン=ジェルヴェ とレ・リラ に、東はバニョレ に、南東はモントルイユ に接し、南東の南寄りではヴァル=ド=マルヌ県 の自治体であるサン=マンデ に接している。西は11区 に接している。
隣接する自治体(行政区)
地区(カルチェ)
パリ・20区のカルチェ 詳細図
パリの行政区 は、それぞれ4つの地区(カルチェ)に区分されている。20区を構成する4地区のコードと名称は、次のとおりである。
住民
人口
20区の人口は、1936年には208,115人となり、ピークに達した。その後は減少を続けたが、1982年の171,971人を底に増加傾向に転じ、1999年にはピーク時の9割弱の182,952人となった。20区 のうちでは15区 、18区 に次いで3番目に人口が多く、1990年以降は、パリの人口の8パーセント台で推移している。2005年の推計では191,800人と見積もられており、人口の増加が見込まれている。
また、人口の減少とともに人口密度も減少しており、1999年の人口密度は、ピーク時の9割弱の30,574人となっている。20区のうちでは4番目に人口密度が高く、パリの平均人口密度の1.3倍である。人口の推移の詳細は、次のとおりである。
年
区人口
市人口
区人口/市人口
区人口密度
市人口密度
備考
1872年
92,772
1,851,792
5.01%
15,503
21,303
1936年
208,115
2,829,753
7.35%
34,779
32,553
人口がピークに達する。
1954年
200,208
2,850,189
7.02%
33,457
32,788
1962年
199,310
2,790,091
7.14%
33,307
32,097
1968年
188,921
2,590,771
7.29%
31,571
29,804
1975年
175,795
2,299,830
7.64%
29,378
26,457
1982年
171,971
2,176,243
7.90%
28,738
25,035
1990年
184,478
2,152,423
8.57%
30,829
24,761
1999年
182,952
2,125,246
8.61%
30,574
24,449
2005年
191,800
2,166,200
8.85%
32,052
24,920
人口は推計。
歴史
第二帝政 下の1860年 、ティエールの城壁 の内のコミューン の全部または一部がパリに併合されたが、現在の20区付近では、ベルヴィル 界隈並びにシャロンヌ 、ル・プレ=サン=ジェルヴェ 、バニョレ の一部が併合された。このとき、メニルモンタン のあるベルヴィル通り以南など、これらの領域を含む形で20区の区域の設定 が行われた。
ちなみに、シャロンヌからバニョレに至る一帯には、かつて幼君ルイ15世 の摂政オルレアン公フィリップ2世 らオルレアン家 が所有したバニョレ城(Château de Bagnolet )があった。
現在のパリ19区 及び20区に跨がり、さらに10区と11区に及ぶ地域を包含するベルヴィル、さらに現在のほぼ19区内にあたるラ・ヴィレット界隈をも含めて、歴史的にはワイン生産者や葡萄畑の収穫人、採石労働者や石工 などの職人といった労働者階級 のコミューンとして発展した。1848年の第二共和政 、1871年のパリ・コミューン の存立では、ベルヴィル界隈のコミューンが大きな役割を果たした。特にパリ・コミューンの時には、メニルモンタン界隈と共に、ヴェルサイユの政府軍 に対して最も大きな抵抗を示した。
20世紀半ばになると、多くの移民 が定住するようになった。1933年のドイツ第三帝国 成立によりユダヤ系ドイツ人が、1939年のフランコ独裁政権 成立によりスペイン人、他にイタリア人らが、60年代にはユダヤ系トルコ人、アルジェリア人やピエ・ノワール らがこの地にやってきた。現在では、マグリブ 諸国のアラブ系や、サハラ以南 のアフリカ系の他、13区 のトルビアック通り界隈と同様、中国系(華僑 系)の旧仏印 出身者もベルヴィル界隈で目立つようになり、いわば"中華街 "として仏語版「パリのアジア人地区 (Quartiers asiatiques de Paris )」の記事の中でも括られている。
政治・行政・司法
主な官公庁・公共機関
軍事
対外治安総局 (Direction Générale de la Sécurité Extérieure; DGSE ) - 軍事省(国防省)管轄の対外情報機関 (ないし諜報機関 )。パリ外郭環状の20区モルティエ大通り(Boulevard Mortier )141番地界隈にある。同様に軍事省管轄の軍事偵察局 は15区 にある。 一方、対内治安情報機関の旧国土監視局 は、2007年まで15区グルネル地区ネラトン通り(Rue Nélaton )7番地にあった。2008年7月1日に統合され現在の国内治安総局 に改組し、ルヴァロワ=ペレ に所在する。
経済
主な店舗・商業施設
健康・福祉
保健・医療
生活
上水道
墓地等
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教育
Le lycée Hélène-Boucher et Rue des Pyrénées vue de Rue de Lagny .
大学等
高等学校
リセ ・エレーヌ=ブーシェ (Lycée Hélène-Boucher ) - ヴァンセンヌの森 近隣界隈、12区 との境界線上クール・ド・ヴァンセンヌ通り (Cours de Vincennes ) 75番地にあるリセ 。
リセ・モーリス=ラベル (Lycée Maurice-Ravel ) - 12区との境界線上20区側、クール・ド・ヴァンセンヌ通り89番地にあるリセ。
文化施設
映画館・劇場
国立コリーヌ劇場 (Théâtre National de la Colline )
パリ東劇場 (テアトル・ド・レスト・パリジアン、Théâtre de l'Est Parisien (TEP) )
ヴァンティエーム劇場 (Vingtième Théâtre )
体育施設
プール
宗教施設
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教会・寺院
観光・憩い
建築
公園・緑地等
交通
鉄道
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高速道路・有料道路
ペリフェリック (パリ環状道路) (Boulevard Périphérique )
道路
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アヴロン通り (Rue d'Avron )
アクソ通り (Rue Haxo )
オルトー通り (Rue des Orteaux )
ガンベタ大通り (ガンベッタ大通り, Avenue Gambetta )
クール・ド・ヴァンセンヌ通り (Cours de Vincennes )
クロンヌ通り (Rue des Couronnes )
ベルヴィル公園の南側を東西に走る。途中、下記ヴィラン通りが分かれる。
サン=ファルジョー通り (Rue Saint-Fargeau )
シャロンヌ大通り (Boulevard de Charonne )
ベルヴィル、メニルモンタン大通りと続いて、11区 と20区との境界線上、ペール・ラシェーズ墓地西側を南北に走り、南側ナシオン広場東側至近まで伸びてゆく。
ダヴー大通り (Boulevard Davout )
デノワイエ通り (Rue Dénoyez )
中国通り (リュ・ド・ラ・シーヌ, Rue de la Chine )
区内を南北に走る下記ピレネー通りの東側で並走する。メニルモンタン通りからガンベタ広場東側、ガンベタ大通りまでを繋ぐ。
日本通り (リュ・デュ・ジャポン, Rue du Japon )
ペール・ラシェーズ墓地の北東に位置するガンベタ広場前の20区役所と、裏手の公園との間を通る短い裏道 。
バニョレ通り (Rue de Bagnolet )
ヴィラン通り (Rue Vilin )
ピレネー通り (Rue des Pyrénées )
メトロ ピレネー駅 (fr ) があるベルヴィル通りとの交差点界隈にはマクドナルド やスーパーのカルフール 等がある。同交差点から南に向かって、20区役所があるペール・ラシェーズ墓地北東端にあるガンベタ広場経由、上記クール・ド・ヴァンセンヌ通りまでを南北に走る通り。ベルヴィル通りとの交差点から北側19区内へはシモン・ボリヴァル大通りに続き、ビュット・ショーモン公園 南側から西側をくの字状に迂回するように北へ伸びてゆき、ラ・ヴィレット貯水池界隈まで走る。
プロフェスール=アンドレ=ルミエール大通り (Avenue du Professeur-André-Lemierre )
ベルヴィル大通り (Boulevard de Belleville )
10区と19区との境界線上を南北に走るラ・ヴィレット大通りがメトロ ベルヴィル駅 があるベルヴィル交差点から先、ベルヴィル"大"通り、メニルモンタン大通り、シャロンヌ大通りと北から順に名を変え、ペール・ラシェーズ墓地西側に沿って20区南西端傍にあるナシオン広場の至近東側界隈まで伸びてゆく。
ベルヴィル通り (Rue de Belleville )
ベルグラン通り (Rue Belgrand )
ペルポール通り (Rue Pelleport )
19区との区境を東西に走るベルヴィル通りと、途中、メトロ ペルポール駅があるポール=シニャック広場でガンベッタ通りと交差し、ガンベッタ広場から南東に伸びるベルグラン通りとの間を南北に走る。
ポルト・ド・ヴァンセンヌ大通り (Avenue de la Porte-de-Vincennes )
メニルモンタン大通り (Boulevard de Ménilmontant )
ベルヴィル大通りから続いて、11区と20区との境界線上を走り、ペール・ラシェーズ墓地北西端ペール・ラシェーズ駅があるオーギュスト=メティヴィエ広場 (Place Auguste-Métivier) 交差点を過ぎると、同墓地西側に沿って南北に走り、途中シャロンヌ大通りと名を変え、南側ナシオン広場東側界隈まで伸びてゆく。
メニルモンタン通り (Rue de Ménilmontant )
11区内のオベルカンフ通りから続いて、メニルモンタン 界隈を東西に伸びる通り。北側から順にベルヴィル通り、ランポノー通り、クロンヌ通り、メニルモンタン通り・・と、これらは20区内ベルヴィル 界隈を東西に並走する通り。メトロのメニルモンタン駅 交差点界隈でぶつかる11区と20区との境界線上を南北に走るベルヴィル大通りは、同交差点からメニルモンタン大通りと名を変え、さらにシャロンヌ大通りと名を変え、ナシオン広場東側界隈まで南側へ続いてゆく。
モルティエ大通り (Boulevard Mortier )
ダヴー大通りと共に"ブールヴァール・デ・マレショー"を構成する。
ラニー通り (Rue de Lagny )
レオン=ゴーモン大通り (Avenue Léon-Gaumont )
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広場・交差点
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パリの「広場 (プラス、Place )」は、しばしば2以上の道路 が交差する場所に位置し、中心の「島」を道路が周回するロータリー 状の交差点 となっている場合が多い。中心の「島」部分は、オベリスク や緑地 等に利用されている場合もあり、凱旋門 があるシャルル・ド・ゴール広場 は世界的に有名である。20区の広場や交差点には、次のようなものがある。
著名な出身者
芸能
スポーツ
著名な居住者
文化
芸能
バルバラ (歌手)
セルジュ・ゲンスブール (作曲家、映画監督)
トマ・フェルセン (シンガーソングライター)
パリ11区 生まれ。少年期の1969年、20区北側メニルモンタン 界隈に居住し、同区の公立ジュリアン=ラクロワ通り小学校 (École primaire de la rue Julien-Lacroix)、中学は9区 の公立コレージュ =リセ・ジャック=ドゥクール (Collège-lycée Jacques-Decour)、78年に一家が8区 に引越し高校は9区の公立リセ ・コンドルセに通った。
ゆかりの人物
政治
文化
芸能
スポーツ
20区を舞台にした作品
映画
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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