1991年の日本競馬
1991年の日本競馬(1991ねんのにほんけいば)では、1991年(平成3年)の日本競馬界についてまとめる。馬齢は旧表記で統一する。 1990年の日本競馬 - 1991年の日本競馬 - 1992年の日本競馬 概要降着制度の導入欧米諸国でおおむね1950年代に導入されていた降着制度が、中央競馬では1月1日から(ただし実質的には1月5日の開催から)、地方競馬では4月1日からそれぞれ導入された[1]。中央競馬における最初の降着は導入初日の1月5日、中山競馬第8競走で第13位に入線したミヤギノフジ(寺島祐治騎乗)が15着に降着となったのが最初。また1位入線馬の降着はその翌日(1月6日)の京都競馬第11競走で行われたKBS京都紅梅賞でのリンデンリリー(須貝尚介騎乗、13着降着)が最初となった。更にGI競走では天皇賞・秋で1位入線のメジロマックイーンが最下位(18着)に降着となり、大きな話題となった(第104回天皇賞も参照)。 馬番連勝複式の導入日本中央競馬会が新たな勝ち馬投票券として馬番連勝複式を導入。8月31日の函館競馬場開催から試験発売を開始し[2]、10月5日から本格導入した[2]。これに伴い、単枠指定制度は廃止された。最後に行われた単枠指定競走は9月22日のセントライト記念であったが、この時の単枠指定馬レオダーバンは3着に敗れた。また、フルゲートの上限が18頭と定められたため、この年の東京優駿(以下日本ダービーと記述)馬トウカイテイオーは8枠20番に単枠指定されたが、馬番号19番以後のダービー馬は今後この制度が改められない限りは現れないこととなる。 トウカイテイオーの活躍日本競馬史上最強馬と呼ばれたGI7勝馬シンボリルドルフの初年度産駒トウカイテイオーが、無敗のまま皐月賞、日本ダービーを優勝。父に次いで史上2頭目の無敗の三冠馬となるところだったが、日本ダービー競走中での骨折により菊花賞を断念。三冠挑戦はならなかった。なお、関西馬による日本ダービー優勝は1982年のバンブーアトラス以来9年ぶりであった。 3歳GIの東西統一前年(1990年)まで朝日杯3歳ステークスと阪神3歳ステークスとして東西別に行われていた3歳(現在の馬齢表記では2歳)のGIが統一され、前者は牡馬・騸馬限定戦となり、後者は牝馬限定の阪神3歳牝馬ステークスと改称された。 阪神競馬場の改修阪神競馬場は前年の第4回開催終了から改修工事に着手し、本年11月30日に竣工した[3]。従来のスタンドを一新し、更に最後の直線走路には坂を設けた。なお、この年の開催については例年の第1回・第4回開催は中京競馬場に、桜花賞を含む第2回、宝塚記念を含む第3回開催は京都競馬場にそれぞれ振り替えて開催された。 できごと1月 - 3月
4月 - 6月
7月 - 9月
10月 - 12月
競走成績中央競馬・平地GI
中央競馬・障害地方競馬主要競走
表彰JRA賞
NARグランプリリーディングリーディングジョッキー
リーディングトレーナー
リーディングオーナーリーディングブリーダーリーディングサイアーリーディングブルードメアサイアー誕生人物
競走馬この年に生まれた競走馬は1994年のクラシック世代となる。
死去人物競走馬
脚注参考文献
注釈
出典 |