メジロボサツ
メジロボサツは日本の競走馬。おもな勝鞍は1965年朝日杯3歳ステークス、1966年第1回4歳牝馬特別、函館記念など。1966年の優駿牝馬(オークス)2着。1965年啓衆社賞最優秀3歳牝馬受賞。 なお、年齢表記については当時の表記(数え年)で表す。 略歴誕生秘話メジロボサツは、1963年5月12日に公営で4勝を挙げたメジロクインの初仔として誕生した。ところが、母メジロクインが難産がたたって出産後間もなく死亡してしまう。この不運が祟ったのか、メジロボサツは380キロそこそこの軽量馬として現役生活を送る事となった。さらに競走馬としてデビューする直前に父のモンタヴァルも急死している。 なお、馬名のボサツは菩薩が由来とされているが、この名前と誕生にまつわるエピソードが災いし走るお墓という縁起でも無い渾名を贈られる羽目となった。 競走馬時代1965年7月10日にデビュー戦を4着で落としたメジロボサツであったが、その後は快進撃。6連勝で挑む事となった朝日杯3歳ステークスは、タマシユウホウ(翌年弥生賞、札幌記念を制する)、ヒロイサミ(翌年ラジオたんぱ賞、セントライト記念を制する)、ハイアデス(京成杯三歳ステークス勝ち。翌年七夕賞を制す)等の有力牡馬を相手に1番人気で快勝。この勝利が原動力となり、この年の最優秀3歳牝馬に選ばれる事となった。 こうして、1966年牝馬クラシック最有力候補と目されたメジロボサツであったが、肝心のレースは共に惜敗。桜花賞は、メジロボサツに勝るとも劣らぬ不運な境遇を背負ったワカクモの3着。オークスは、雨中決戦を利用した雨の古山こと古山良司騎手の大胆な逃げ戦法に屈し、優勝したヒロヨシから9馬身差の2着に終わった。 その後、メジロボサツはラストランとなる翌年5月13日のオープン戦まで5戦するが、函館記念以外は惨敗に終わっている。 引退後引退後も繁殖牝馬としてメジロゲッコウなどを輩出。メジロ牧場で最も発展した牝系のひとつであり、メジロドーベルもそのうちの一頭である。なお、何の因果か末裔のメジロドーベルも、メジロボサツと同じく血液型が不適合により実の母の乳を飲めなかった馬であった。また、メジロ牧場以外ではモーリスがいる(五代母)。 こうして、メジロ軍団の主軸牝系となったメジロボサツは、馬の養老院として知られるイーハトーヴ・オーシァンファームで29年の生涯を閉じた。 主な牝系図牝系図の主要な部分(太字はGI級競走優勝馬)は以下の通り。*は日本に輸入された馬。
牝系図の出典:牝系検索α
同期の馬達血統表
出典・脚注
関連項目外部リンク
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